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1768-1774.7.21 露土戦争, キュチュク・カイナルジ条約

  • 執筆者の写真: 四々縦七
    四々縦七
  • 2021年12月28日
  • 読了時間: 1分

ロシアとオスマン帝国が黒海北西岸で争い、ロシアが勝利した(露土戦争(1768年〜1774年7月21日)) 。


講和条約(キュチュク・カイナルジ条約(1774年7月21日))により、ロシアは南ブーフ川(南ブグ川)まで領土を広げ、クリミア半島を含むアゾフ海沿岸を占領したうえオスマン帝国に黄金のオルド(クリミア・ハン国)の宗主権を放棄させた。加えて、オスマン帝国はオスマン帝国内の正教会信徒の保護権、黒海におけるロシア艦隊建造権、ボスポラス海峡・ダーダネルス海峡の商船の自由通行権をロシアに与えた。


黄金のオルド(クリミア・ハン国)は、1478年からオスマン帝国に従属していたが、1571年にモスクワを攻略して以降17世紀末まで貢税を課していた。黄金のオルド(キプチャク=ハン国)は、チンギス・ハンの長男ジョチの息子であるバトゥが1243年に建国したものである。


ウクライナの国旗
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イスタンブールのアヤソフィア
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