1791.8.22-1804.1.1 FRB/NBW ハイチ革命戦争
- 四々縦七
- 2022年3月12日
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フランス革命(1789年7月14日〜1795年8月22日)中に、イスパニョーラ島西部のフランス植民地サン=ドマングで、奴隷の反乱が勃発してハイチ革命戦争(1791年8月22日〜1804年1月1日)がはじまった。
1801年までに、フランソワ=ドミニク・トゥーサン・ルヴェルチュールはフランス植民地サン=ドマング全域を掌握し、イスパニョーラ島東部のスペイン領サントドミンゴにも侵攻して黒人奴隷を解放していた。しかし、1802年にフランス軍に投降して収監中に死亡した。フランス軍が一時的に治安を回復したが、奴隷制復活を目論み、反乱は再燃した。
この頃、ナポレン・ボナパルトがアメリカ大陸の植民地維持に関心を失った(1803年7月4日フランス領ルイジアナをアメリカに売却)こともあり、1803年11月18日にジャン=ジャック・デサリーヌが率いる反乱軍がフランス植民地軍に勝利(ヴェルティエールの戦い)すると、1804年1月1日にジャン=ジャック・デサリーヌが終身総督に就任して独立を宣言した。これにより、3番目の国民国家ハイチ共和国が成立した。

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