1795.4.5 FRW バーゼル条約【普仏講和】
- 四々縦七
- 2022年2月3日
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1792年4月20日にフランスが、フランス革命(1789年7月14日〜1795年8月22日)に干渉したオーストリアに宣戦布告して、フランス革命戦争(FRW、1792年4月20日〜1799年11月9日)が勃発した。オーストリア軍はオーストリア領ネーデルラントから、プロシア軍はラインラントから、フランスに侵攻した。
1793年末からフランスが反攻に転じ、フランス軍は領内からオーストリア軍・プロシア軍を撤退させたうえ、オーストリア領ネーデルラントとラインラントを占領した。
1795年4月5日にプロシアはフランスと講和した(バーゼル条約)。フランスはプロシアにライン川西岸(ラインラント)の領有を認めさせ、ライン川以東の占領地域は返還した。1794年から講和交渉は始まっていて、バーゼル条約(1795年4月5日)にはライン川西岸のフランス支配を認める代わりにライン川東岸のプロシア支配を保障するという秘密条項が含まれていた。
バーゼル条約(1795年4月5日)を締結したプロシアは10年超の中立政策を採ることになり、ライン同盟の成立(1806年7月12日)に危機感を抱いて対仏大同盟に復帰するのは1806年10月9日(フランスに宣戦布告)のことになる。


画像出典:旅行のとも、ZenTech
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