1796.5.15 FRW パリ条約【サルデーニャによるニース・サヴォワ割譲】
- 四々縦七
- 2022年2月9日
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フランス軍は1794年には既にジェノヴァ共和国(1005年〜1797年6月14日)のリグリア海岸沿岸部を占領していたが、1796年3月27日にナポレオン・ボナパルトがイタリア派遣軍司令官に就任して、第一次イタリア遠征(1796年3月27日〜1797年10月18日カンポ・フォルミオ条約)がはじまった。
サルデーニャ王国(サヴォイア家、のちのイタリア王国)の領土は首都トリノのある大陸領土ピエモンテとサルデーニャ島とで構成されていたが、ピエモンテはジェノヴァ共和国領と共にフランスが北イタリアおよびイタリア半島に侵攻する際の通り道に位置していた。サルデーニャ軍はオーストリア軍と連合して、フランス軍を迎撃する予定だった。しかし、1796年4月12日にナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍はサヴォーナ近郊でサルデーニャ・オーストリア連合軍を破って両軍を分断し、サルデーニャ軍を孤立させることに成功した(モンテノッテの戦い)。
5月15日、孤立してしまったサルデーニャ王国はフランスと講和して、ニースとサヴォワを割譲し、フランス軍の領地通過を認めた(パリ条約)。


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