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1798.1.19-1799.3.21 FRW ラシュタット会議【墺仏交渉】

  • 執筆者の写真: 四々縦七
    四々縦七
  • 2022年2月14日
  • 読了時間: 1分

1798年1月19日から1799年3月21日まで講和会議が開かれた。ライン川西岸(ラインラント)の領有権をめぐって、スウェーデンの調停により、オーストリアとフランスの利害調整が図られたが、失敗に終わった。ライン川西岸(ラインラント)については、プロシアがフランスの領有を認めていた(1795年4月5日バーゼル条約)。


ラシュタット会議(1798年1月19日〜1799年3月21日)の開催中に、フランスはローマ共和国(1798年2月15日〜1799年9月30日)を承認してローマ教皇庁を制圧し、エジプト遠征(1798年7月3日〜1801年)を開始し、サルデーニャ王国からピエモンテ共和国(1798年9月10日〜1799年6月20日)を独立させた。


一方のオーストリアは、1798年5月にナポリ王国と同盟して、11月28日にオーストリア・ナポリ王国連合軍がローマ共和国に侵攻してローマを占領し、12月にはオーストリア・ナポリ王国・イギリス・ロシア・オスマン帝国の間で同盟を成立させていた。【第二次対仏大同盟:イギリス・オーストリア・ナポリ王国・ロシア(1800年に離脱);オスマン帝国;ポルトガル・サルデーニャ王国 ※スペインが1796年8月19日にフランスと同盟 ※プロシアは中立


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