1800-1801.4.2 NBW 第二次武装中立同盟
- 四々縦七
- 2022年3月2日
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フランス革命戦争(FRW、1792年4月20日〜1799年11月9日)終盤のフランスのマルタ征服(1798年6月10日〜12日)と、直後にはじまったマルタ包囲戦(1798年〜1800年)の結果、イギリスによるマルタ諸島の占領統治がはじまった。地中海の制海権を左右する要衝がイギリス艦隊の拠点となったことは、地中海を含むヨーロッパの通商環境における大きな変化だった。
イギリスのマルタ諸島占領(1800年〜)に対して、ロシア、プロシア、デンマーク=ノルウェー、スウェーデンが反対し、1800年中に第二次武装中立同盟(Second League of Armed Neutrality)を結成した。
第二次武装中立同盟(1800年〜1801年4月2日)が原因となって、イギリスとデンマーク=ノルウェーは対立(1801年4月2日コペンハーゲンの海戦)し、1807年にはデンマーク=ノルウェーがフランスと同盟することになる。ナポレオン・ボナパルトのエジプト遠征も、マルタ征服も失敗に終わったが、意外な形で同盟国を獲得することにつながったわけだ。

1779.3.11-1783.9.3 ARW 第一次武装中立同盟
アメリカ革命戦争(ARW、1775年4月19日〜1783年9月3日)中に、イギリスは対米海上封鎖のため、中立国船舶の捕獲を宣言した。これに対し1778年にスウェーデンが中立国船舶の保護を訴え、翌1779年3月11日にロシアのエカチェリーナ2世が中立国船舶の航行の自由を訴えると同時に武装中立同盟の結成を呼び掛けた。
ロシアと、ロシアの呼びかけに応えたスウェーデン、デンマーク=ノルウェーにより第一次武装中立同盟(First League of Armed Neutrality)が結成された。
1781年にはプロシア、オーストリア、ポルトガルが参加し、1782年にはオスマン帝国が、1783年にはナポリ王国が参加した。
イギリスはフランス、スペイン、オランダと交戦中であり、ロシア、スウェーデン、デンマーク=ノルウェー、プロシア、オーストリア、ポルトガル、オスマン帝国、ナポリ王国が第一次武装中立同盟(1779年3月11日〜1783年9月3日)に参加したため、国際的に孤立した状態でアメリカ革命戦争(ARW、1775年4月19日〜1783年9月3日)後半を戦うこととなった。

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