1806.11.21 NBW 大陸封鎖令の発令
- 四々縦七
- 2022年3月20日
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1806年11月21日にベルリンで、ナポレオン・ボナパルトは大陸封鎖令を発令した。ベルリン勅令とも言われる。
イギリスとの通信・通商を禁じる内容で、具体的にはフランス帝国及び同盟国領内におけるイギリス人を戦争捕虜とし、イギリスの物資・商品を押収し、イギリスないしイギリス植民地から渡航した船舶はその積荷と共に接収するという内容だ。しかし、事実上はヨーロッパ諸国のイギリスとの交易をフランスとの交易に強制的に切り替えさせる狙いを持った経済政策だった。
大陸封鎖令の発令はナポレオン戦争(NBW、1799年11月9日〜1815年11月20日)の大きな分岐点だった。結果論だが、ナポレオン・ボナパルトみずから半島戦争(1808年5月2日〜1814年5月30日第一次パリ条約)と1812年ロシア戦役(1812年6月24日〜12月14日)の勃発の原因を作り出すこととなった。そして、この2つの遠征に失敗することでフランス第一帝政(1804年5月18日帝政宣言〜1814年4月4日NB退位、1815年3月20日〜6月22日NB百日天下)は滅亡することになる。
大陸封鎖令(1806年11月21日)は、1806年5月16日にイギリスがブレストからエルベ川河口までの全港湾の海上封鎖を決めたことに対抗して、ナポレオン・ボナパルトが「イギリスは封鎖された」と宣言したものだった。本来は、イギリス封鎖令と呼ばれるべきものだったわけだ。しかし、制海権のないフランスには「イギリス港湾の海上封鎖」は実行不可能だった。

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