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1806.7.12 NBW ライン同盟の成立【ドイツ諸侯の保護国化】

  • 執筆者の写真: 四々縦七
    四々縦七
  • 2022年3月18日
  • 読了時間: 1分

1806年7月12日に神聖ローマ帝国内のすべてのドイツ諸侯が離脱してフランスと同盟した(ライン同盟(1806年7月12日〜1813年10月19日))。ライン同盟の盟主はナポレオン・ボナパルトであり、事実上フランスによるドイツ諸侯の保護国化だった。1805年12月26日にオーストリアはフランスと講和して第三次対仏大同盟を離脱していたところ、ライン同盟の成立を受けて1806年8月6日にフランツ2世は神聖ローマ帝国(962年〜)の解散を表明した。


1807年11月15日に、フランスの衛星国家ウェストヴァーレン王国(1807年7月9日〜1813年10月)もライン同盟に加盟した。


1813年10月19日にナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍がロシア・オーストリア・プロシア・スウェーデン連合軍に敗れ(ライプツィヒの戦い(1813年10月16日〜19日))て、ライン同盟(1806年7月12日〜1813年10月19日)は崩壊した。


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