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1806 NBW イギリス領ケープ植民地の成立

  • 執筆者の写真: 四々縦七
    四々縦七
  • 2022年3月21日
  • 読了時間: 1分

1795年1月19日にフランスの衛星国家バタヴィア共和国(1795年1月19日〜1806年6月5日)が成立して、ネーデルラント連邦共和国(1579年1月23日〜1795年1月19日)が滅亡した。2月9日にはイギリスとバタヴィア共和国は戦争状態となり、イギリスはケープ植民地やセイロン島などオランダ東インド会社の海外植民地への侵攻を開始した。


1795年中にイギリス軍はケープ植民地を制圧・占領していたが、1802年3月25日にイギリスとフランスが講和し、ケープ植民地をバタヴィア共和国に返還していた(アミアンの和約)。


しかし、1803年5月16日にイギリスはアミアンの和約を破棄して再度フランスへ宣戦布告し、ケープ植民地についても1806年にブラーウベルグの戦い(Battle of Blaauwberg、1806年1月8日〜18日)に勝利したイギリス軍により再占領されて、イギリス領ケープ植民地(1806年〜1910年5月31日)が成立した。

南アフリカ共和国の国旗
南アフリカ共和国の国旗

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