1807.10.26-1812.7.18 NBW 英露戦争, エレブルー条約
- 四々縦七
- 2022年3月24日
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1807年7月7日にロシアとフランスが講和し、ロシアがイギリスへ宣戦布告することが約束された(ティルジットの和約)。1807年10月26日に、コペンハーゲン砲撃(1807年9月2日〜7日)を理由としてロシアがイギリスに宣戦布告して英露戦争(1807年10月26日〜1812年7月18日エレブルー条約)が勃発した。
イギリスとロシアは、第二次ロシア・スウェーデン戦争(1808年2月〜1809年9月17日フレデリクスハムンの和約)、露土戦争(1806年〜1812年5月28日ブカレスト条約)、第一次ロシア・ペルシア戦争 (1804年〜1813年10月24日ゴレスターン条約)で敵対したが、ロシアはいずれの戦争においても勝利を収めた。
ロシアは、スウェーデンからはフィンランド全土とオーランド諸島を獲得(1809年9月17日フレデリクスハムンの和約)し、オスマン帝国からはドニエストル川からプルート川までの地域(ベッサラビア)を獲得(1812年5月28日ブカレスト条約)し、ペルシア(ガージャール朝(1779年〜1925年12月15日))からは南コーカサス地方(現在のジョージア・アゼルバイジャン・アルメニア3国の総称)の一部を獲得(1813年10月24日ゴレスターン条約)した。
ロシア軍とイギリス軍の直接の大規模な軍事衝突は起こらないまま、1812年4月5日には交戦中のイギリス・ロシア・スウェーデンが秘密裏に協調してフランスに対抗することを合意(サンクトペテルブルク条約(Treaty of Saint Petersburg))していた。
1812年ロシア戦役(1812年6月24日〜12月14日)勃発後の1812年7月18日に、公然と講和(エレブルー条約(Treaties of Örebro))して第六次対仏大同盟を結成した。

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