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1807.2.19-1809.1.5 NBW 英土戦争, ダーダネルス条約

  • 執筆者の写真: 四々縦七
    四々縦七
  • 2022年3月20日
  • 読了時間: 1分

ナポレオン戦争(NBW、1799年11月9日〜1815年11月20日)のなか、アウステルリッツの戦い(1805年12月2日)でオーストリア・ロシア連合軍がフランス軍に敗れたこともあり、第二次対仏大同盟(1798年〜1801年2月9日リュネヴィルの和約)に参加していたオスマン帝国は、1806年2月にフランスと講和(フランスは第一次セルビア蜂起の鎮圧に協力することを約束)した。


1807年2月19日にイギリス艦隊がダーダネルス海峡に侵攻してマルマラ海でオスマン帝国艦隊を攻撃したが、砲台からの反撃を受けて3月3日には地中海まで撤退した。また、3月16日にイギリス軍はエジプトに上陸してアレクサンドリアを陥落させたが、ムハンマド・アリー率いるエジプト軍に反撃されて撤退した(イギリスのエジプト遠征(Alexandria expedition of 1807))。


この戦争(英土戦争(1807年2月19日〜1809年1月5日))はオスマン帝国の勝利に終わり、1809年1月5日に講和した。イギリスは艦隊と武器供与によりオスマン帝国がフランスに対して独立を維持できるよう約束した(ダーダネルス条約)。

イスタンブールのアヤソフィア
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