1807.7.9 NBW ワルシャワ公国の建国【ポーランドの一時復活】
- 四々縦七
- 2022年3月22日
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ライン同盟の成立(1806年7月12日)に危機感を抱いたプロシアがバーゼル条約(1795年4月5日)以来の中立政策を改めて、1806年10月9日にフランスに宣戦布告した。
1806年10月14日にフランス軍はプロシア軍に壊滅的な打撃を与えて勝利し、10月25日にベルリンを制圧した。プロシア王は東プロシアに逃れてケーニヒスベルクを臨時首都としたところ、フランスもポーランドに進軍した。
アイラウの戦い(1807年2月7日〜8日)でフランス軍はロシア・プロイセン連合軍に辛勝し、フリートラントの戦い(6月14日)でフランス軍はロシア軍に大打撃を与えて勝利した。1807年6月16日にはフランス軍が臨時首都ケーニヒスベルクを占領し、プロシアは降伏した。
1807年7月9日にフランスの勝利で講和し、プロシアは旧ポーランド領を割譲した(ティルジットの和約)。ナポレオン・ボナパルトは、プロシアの旧ポーランド領に、ワルシャワ公国(1807年7月9日〜1815年6月9日)という名称でポーランドを復活させた。
ポーランドは、1795年10月24日にロシア・プロシア・オーストリアによってなされた第三次ポーランド分割によって国土が消滅し、滅亡していた。

1772.8.5 第一次ポーランド分割
1772年8月5日に、プロシア・オーストリア・ロシアは、それぞれの国境に隣接するポーランド・リトアニア共和国(1569年7月1日〜1795年10月24日)の領地を獲得した(第一次ポーランド分割)。
1793.1.23 FRW 第二次ポーランド分割
1789年4月30日に、アメリカ革命戦争(ARW、1775年4月19日〜1783年9月3日)に勝利したアメリカで、ジョージ・ワシントンが大統領に就任してアメリカ合衆国が成立した。同年7月14日にはフランス革命(1789年7月14日〜1795年8月22日)が勃発した。
1791年5月3日に、ポーランド・リトアニア共和国(1569年7月1日〜1795年10月24日)はヨーロッパで最初の成文憲法を制定(世界でもアメリカ合衆国憲法(1788年6月21日公布・1789年5月4日施行)に次いで2番目)して、世界初の立憲君主制を採用した。
立憲君主制に反対する国内抵抗勢力がロシアと結託して改革勢力に対抗していたが、1792年4月20日にフランス革命戦争(FRW、1792年4月20日〜1799年11月9日)が勃発した。
この様な国内外の状況のなか、1792年5月18日にロシアがポーランド・リトアニア共和国に侵攻して戦争が勃発した(ポーランド・ロシア戦争(1792年5月18日〜7月27日))。ポーランド・リトアニア軍はロシア軍を領内に引き込む戦術を採って戦っていたが、国王が国内抵抗勢力と妥協してしまい防衛戦を継続できなくなってしまった。
戦争中止後すぐに、ロシア・プロシアはポーランド・リトアニア共和国の領地を獲得した(第二次ポーランド分割)。
1795.10.24 FRW 第三次ポーランド分割
1795年10月24日に、プロシア・オーストリア・ロシアは、ポーランド・リトアニア共和国(1569年7月1日〜1795年10月24日)の残った領地すべてを3カ国で分割して獲得した(第三次ポーランド分割)。
ポーランド・リトアニア共和国は領土をすべて失って滅亡した。
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