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1807.7.9 NBW 衛星国家ウェストヴァーレン王国の建国【プロシアがエルベ川以西の領地喪失】

  • 執筆者の写真: 四々縦七
    四々縦七
  • 2022年3月22日
  • 読了時間: 1分

1807年7月7日にロシアとフランスが、1807年7月9日にプロシアとフランスが講和した(ティルジットの和約)。プロシアは、エルベ川以西の領地と旧ポーランド領を割譲し、賠償金を課せらせ、賠償金支払完了までのフランス軍駐留を認めさせられた。


ティルジットの和約(1807年7月9日に普仏が講和)に基づいて、エルベ川以西の旧プロシア領にはフランスの衛星国家ウェストヴァーレン王国(1807年7月9日〜1813年10月、1807年11月15日にライン同盟に加盟)が建国され、ナポレオン・ボナパルトの3番目の弟ジェローム・ボナパルトが王位に就き、プロシアの旧ポーランド領にはポーランドがワルシャワ公国という名称で復活した。


現在のドイツの河川地図(画像出典:©︎旅行のとも、ZenTech)
現在のドイツの河川地図(画像出典:©︎旅行のとも、ZenTech)

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