1811-1818.9.15 オスマン・サウジ戦争
- 四々縦七
- 2022年5月2日
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1805年にワッハーブ派がメッカとメディナを占領したので、1807年にオスマン帝国はムハンマド・アリーに第一次サウード王国(ワッハーブ王国)壊滅を命じた。1811年になってムハンマド・アリー率いるエジプト軍が紅海東岸に海路で侵攻して開戦し、1813年までにメディナ、メッカの奪還に成功した。1817年からはムハンマド・アリーの息子イブラーヒーム・パシャの指揮で内陸のディルイーヤに向けて侵攻し、ディルイーヤ攻囲戦(1818年4月〜9月15日)の末に第一次サウード王国を降伏させた。
第一次サウード国王アブドゥッラー・ビン・サウードは、イスタンブールに連行されて処刑され、第一次サウード王国は滅亡した。
第一次サウード王国(ワッハーブ王国)は、1744年にムハンマド・イブン=アブドゥルワッハーブ(スンナ派系のワッハーブ派の宣教師)とムハンマド・イブン=サウードがオスマン帝国からの独立を目指して建国し、ディルイーヤ(現在のサウジアラビア王国の首都リヤド郊外に位置する都市)から南部沿岸部を除くアラビア半島全域まで領土を広げていた。

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