1812.12.14 NBW ロシア帝国🇷🇺 #021 焦土作戦で勝利(1812年ロシア戦役)
- 四々縦七
- 2022年5月2日
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ロシア帝国(ロマノフ家)に大陸封鎖令遵守を求めるナポレオン・ボナパルトの指示でフランス帝国の大陸軍がロシアの旧ポーランド領に侵攻して戦争が勃発した(1812年ロシア戦役(1812年6月24日〜12月14日))。
ロシアはヨーロッパの東の端に位置するユーラシア大陸国家という特性を活かして、「焦土作戦」と戦略的撤退を繰り返し、大挙して押し寄せた大陸軍を領内深く引き込んだすえに駆逐して勝利した。12月14日に大陸軍がロシア領内から駆逐される頃には、侵攻時に60万人以上いた将兵は約2万人にまで減らされていた。
言うまでもないが、この敗戦がナポレオン戦争の最大の転機だった。
実は、1812年ロシア戦役(1812年6月24日〜12月14日)勃発前の1812年4月5日には交戦中のイギリス・ロシア・スウェーデンが秘密裏に協調してフランスに対抗することを合意(サンクトペテルブルク条約)しており、勃発後の1812年7月18日に公然と講和(エレブルー条約)して第六次対仏大同盟を結成した。そして、ナポレオン・ボナパルトがロシアに敗北すると、1813年3月17日にはプロシアが、8月11日にはオーストリアがフランスに宣戦布告して、第六次対仏大同盟に合流した。

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