1826-1828.2.21 GG 第二次ロシア・ペルシア戦争, トルコマンチャーイ条約
- 四々縦七
- 2022年6月1日
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1826年に、ふたたび南コーカサス地方(現在のジョージア・アゼルバイジャン・アルメニア3国の総称)の領有権をめぐって、ロシアとペルシア(ガージャール朝(1779年〜1925年12月15日))との間の戦争が勃発した(第二次ロシア・ペルシア戦争 (1826年〜1828年2月21日))。
1828年2月21日にロシアが勝利して、現在のアルメニアとアゼルバイジャンの残りの領土を割譲した(トルコマンチャーイ条約)。
トルコマンチャーイ条約(Treaty of Turkmenchay)は、ロシア軍艦にカスピ海の独占通行権を認め、ペルシアに賠償金を課す内容も含んでいた。また、ロシアの領事裁判権を認める不平等条約であり、ペルシアが他のヨーロッパ諸国とも不平等条約を結ぶ端緒になった。
また、ロシアが南コーカサス地方を獲得したことで、ロシアの南下政策がイギリスのインド植民地にとっての現実の脅威となり、英露グレートゲーム(GreatGame、1828年2月21日〜1907年8月31日)がはじまった。



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