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1839-1840.11.27 GG 第二次エジプト・トルコ戦争, アレクサンドリア条約 1840.7.15 ロンドン条約

  • 執筆者の写真: 四々縦七
    四々縦七
  • 2022年6月11日
  • 読了時間: 1分

オスマン帝国が第一次エジプト・トルコ戦争(1831年〜1833年5月6日)で失ったシリアを奪還しようとシリアに侵攻して戦争が勃発した(第二次エジプト・トルコ戦争(Second Egyptian–Ottoman War、1839年〜1840年11月27日))。エジプト軍はふたたびオスマン帝国軍を圧倒したが、オスマン帝国の崩壊を恐れたイギリス・ロシア・オーストリア・プロシアが干渉した。


1840年7月15日に、英露墺普4カ国は、ムハンマド・アリーがシリアの統治権を放棄する代わりにエジプトの世襲統治権を得ること、ウンキャル・スケレッシ条約(1833年7月8日)を破棄してボスポラス海峡およびダーダネルス海峡の外国軍艦の通行を全面禁止にすることで合意(ロンドン条約(Convention of London of 1840))し、ムハンマド・アリーとオスマン帝国の双方に講和するように圧力をかけた。


従わないエジプト軍に対し、イギリス・オーストリア・オスマン帝国連合艦隊が攻撃を加えるなどした結果、エジプト軍は劣勢となり、1840年11月27日にイギリスとアレクサンドリア条約(Convention of Alexandria) を締結して、ロンドン条約の内容を受諾して戦争を終わらせざるを得なかった。

エジプト・アラブ共和国の国旗
エジプト・アラブ共和国の国旗


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