1868,1873,1876 GG ウズベク3ハン国の保護国化・併合
- 四々縦七
- 2022年7月12日
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アラル海からフェルガナ盆地にかけて広がる現在のウズベキスタン領地には、西から順にヒヴァ・ハン国、ブハラ・アミール国(元々の君主号はハンだった)、コーカンド・ハン国、と称するウズベク3ハン国があった。
1868年に、ロシアはサマルカンドを占領してブハラ・アミール国(1500年ムハンマド・シャイバーニー・ハンがウズベク・ハン国建国〜1577年ブハラに遷都〜1785年君主号をアミールに変更〜1920年)を保護国化した。
1873年に、ロシアはヒヴァを占領してヒヴァ・ハン国(1512年〜1920年)を保護国化した。
フェルガナ盆地を中心とし、タシケントも支配下に置いていたコーカンド・ハン国(1709年〜1876年)については、1865年にタシケントを占領し、1868年にはコーカンド・ハン国を保護国化していたが、1876年にはコーカンド・ハン国を滅ぼして植民地化した。
こうしてウズベク3ハン国を保護国化・併合したロシアの勢力圏がアフガニスタン北部国境まで拡大した。これに危機感を抱いたイギリスは第二次アフガン戦争(1878年11月〜1881年)を起こし、1881年にアフガニスタン(バーラクザイ朝(1826年〜1973年7月17日))の外交権を奪って保護国とした。

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