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1881.9.21 GG アクハル条約

執筆者の写真: 四々縦七四々縦七

カスピ海東岸地域(現在のトルクメニスタン領地)に進出するロシアは、1818年にアシハバードという町(現在のトルクメニスタン中央の南部国境付近に位置)を造っていた。1828年にロシア軍艦のカスピ海の独占通行権をペルシアに認めさせ(トルコマンチャーイ条約(Treaty of Turkmenchay)、第二次ロシア・ペルシア戦争 (1826年-1828年2月22日)の講和条約)、1869年にはカスピ海東岸にクラスノヴォーツク要塞を築いていた。


1881年9月21日に、ペルシア(ガージャール朝(1779年〜1925年12月15日))は、現在のトルクメニスタン南東部地域をロシアに割譲する条約を結んだ(アクハル条約(Treaty of Akhal))。


イギリスは1881年にアフガニスタン(バーラクザイ朝(1826年〜1973年7月17日))の外交権を奪って保護国としていた(第二次アフガン戦争(1878年11月〜1881年))ので、アクハル条約によって、ロシアの勢力圏とイギリスの勢力圏がアフガニスタン北西部国境でも接することになった。


ちなみに、ロシアによるウズベク3ハン国の保護国化・併合(1868年にブハラ・アミール国、1873年にヒヴァ・ハン国を保護国とし、1876年にはコーカンド・ハン国を併合)によって、このころ既に、ロシアの勢力圏はアフガニスタン北部国境まで拡大していた。

トルクメニスタンの国旗
トルクメニスタンの国旗

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