7つの世界大戦
- 四々縦七
- 2021年12月6日
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前回までを、簡単にまとめる。
まず、現代世界史における地政学とは『18世紀末から現在に至る約250年間に、世界で起こってきた戦争の歴史を知ること』であると定義した。次に、戦争の主体である国のうち、国民国家とは『国民が国家すなわち領土などの共有財産を所有するという建前の政治形態の国』であると定義した。
そして、岡田英弘氏は「世界中に広まったのは、国民国家のほうが戦争に強いという理由があって、国民国家にならなければ生き残れなかった」と、指摘していた。
実は、アメリカ合衆国とフランス帝国(当初は、フランス共和国)という2つの国民国家の誕生が、イギリスやロシアや日本といった古代から現在に至るまで領土の主要部を維持し続けている国々の『国民国家』化を促し、プロシア王国(ホーエンツォレルン家)にドイツを統一させてドイツ第二帝国という国民国家を誕生させ、サルデーニャ王国(サヴォイア家)にイタリアを統一させてイタリア王国という国民国家を誕生させ、これら7列強を中心に多くの戦争が行われたのが現代世界史の一大特徴なのだ。
そこで今回は、現代世界史に起こった戦争の中から、関与する列強・諸国の数の多さや、国際関係に与える影響の大きさから、7つの『世界大戦』を紹介する。
まずは、7つの世界大戦を列挙してみよう。
アメリカ革命戦争(ARW、1775年4月19日〜1783年9月3日)
フランス革命戦争(FRW、1792年4月20日〜1799年11月9日)
ナポレオン戦争(NBW、1799年11月9日〜1815年11月20日)
英露グレートゲーム(GreatGame、1828年2月21日〜1907年8月31日)
第一次世界大戦(WWⅠ、1914年7月28日〜1918年11月11日)
第二次世界大戦(WWⅡ、1939年9月1日〜1945年9月2日)
米ソ冷戦(ColdWar、1945年2月4日〜1989年12月3日)
7つの世界大戦それぞれについて簡単に説明を加えておこう。
アメリカ革命戦争(ARW、1775年4月19日〜1783年9月3日)では、イギリスとフランス・アメリカ・スペイン・オランダなどが戦った。レキシントンでアメリカ戦争が勃発した『1775年4月91日』が現代世界史のはじまりである。フランス側の勝利で、1783年9月3日にアメリカとイギリスが講和(1783年パリ条約)し、同日にフランス・スペインとイギリスが講和(ヴェルサイユ条約)した。そして1784年5月20日にイギリスとオランダが講和(1784年パリ条約)して戦争は終わった。この戦争に勝利した植民地の人々が、戦後に憲法を制定し、『1789年4月30日』にジョージ・ワシントンを大統領に就任させて成立させたのが最初の国民国家アメリカ合衆国であった。
フランス革命戦争(FRW、1792年4月20日〜1799年11月9日)では、フランスとイギリス・オランダ・スペイン・オーストリア・サルデーニャ王国・プロシア王国・オスマン帝国・ロシアなどが戦った。戦争勃発当初の劣勢をフランスが押し戻し、スペインと同盟し、プロシアに勝利して中立政策を採らせ、オランダやスイスを制圧して傀儡政権を打ち立て、イタリア遠征でオーストリア軍・サルデーニャ王国軍に勝利するなど優勢だったが、エジプト遠征に失敗して一時的な危機に陥った。しかし、エジプト遠征から途中離脱して帰国したナポレオン・ボナパルトが『1799年11月9日』に第一統領に就任して実権を握り、世界で2番目の国民国家フランスを成立させた。1802年3月25日にフランスとイギリスが講和(アミアンの和約)したが、1803年5月16日にはイギリスがフランスに対して再び宣戦布告した。
ナポレオン戦争(NBW、1799年11月9日〜1815年11月20日)では、フランスがヨーロッパを席巻して、一時はヨーロッパのほぼ全域を支配下に置いた(デンマーク=ノルウェーとは同盟、最後まで敵対を続けたのはイギリスと島嶼部領地のみになったサルデーニャ王国とナポリ王国だけだった)。しかし、半島戦争でイギリス・スペイン・ポルトガルに苦戦し、ロシア遠征にも失敗すると、ロシア・スウェーデン・プロシア王国・オーストリアなどが反攻に転じて、ナポレオン・ボナパルトは退位して王政が復古した(フランス復古王政(1814年4月6日〜1830年7月29日))。1814年5月30日に第六次対仏大同盟とフランスが講和(第一次パリ条約)し、ウィーン会議(1814年7月〜1815年6月9日)が開催されて1815年6月9日にウィーン体制の枠組みが形成された(ウィーン議定書)。ナポレオン・ボナパルトの百日天下(1815年3月20日皇帝復位〜6月22日)を経て、1815年11月20日に第七次対仏大同盟が第一次パリ条約を修正(第二次パリ条約)して戦争は終わった。戦争中、アメリカは広大なフランス領ルイジアナを購入してミシシッピ川以西に領土を拡張し、スペインとポルトガルが国力を低下させたため中南米では戦中戦後に植民地の独立が相次いだ。
英露グレートゲーム(GreatGame、1828年2月21日〜1907年8月31日)では、南下しようとするロシアとインド植民地(1858年8月2日以降はイギリス領インド帝国(〜1947年8月15日))を守るためにそれを阻止しようとするイギリスがトルコ、ペルシア、アフガニスタン、極東などで争った。ヨーロッパで、プロシア王国がドイツ統一を、サルデーニャ王国がイタリア統一を達成することで国際環境が大きく変化し、当初のイギリスとロシアとの対立が独墺伊三国同盟(1882年に秘密裏に締結)と英露仏日四国協商(1907年8月31日英露協商締結で完了)との対立に変質して、GreatGameは終結した。日本は開国・明治維新を経て現代世界史に登場し、イギリスと同盟してロシアに勝利(1902年1月30日日英同盟締結、日露戦争(1904年2月6日〜1905年9月5日))して、非白人国家として初めて列強入りした。
第一次世界大戦(WWⅠ、1914年7月28日〜1918年11月11日)では、ドイツがイギリス・フランス・日本・アメリカに敗北した。勝利したものの戦争で疲弊したイギリスに、アメリカが肩を並べる強国となった。戦争終結間際にロシアで共産革命が成功(二月革命(1917年2月23日〜2月27日)、十月革命(同年11月17日〜))し、ソビエト連邦(1922年12月30日〜1991年12月26日)が成立した。ドイツ側で参戦したオーストリア=ハンガリー二重帝国とオスマン帝国は崩壊し、分割された。連合国は、ヴェルサイユ条約(ドイツ国と講和、1919年6月28日)、サン=ジェルマン条約(オーストリア第一共和国と講和、同年9月10日)、ヌイイ条約(ブルガリア王国と講和、同年11月27日)、トリアノン条約(ハンガリー王国と講和、1920年6月4日)、ローザンヌ条約(トルコ共和国と講和、1923年7月24日。セーブル条約(オスマン帝国と講和、1920年8月10日)は連合国が放棄)で、中央同盟国それぞれと講和した。
第二次世界大戦(WWⅡ、1939年9月1日〜1945年9月2日)では、ドイツ・日本がイギリス・フランス・ソビエト連邦(ロシア)・アメリカに敗北した。戦争中に日本がフィリピン、英領マラヤ、蘭領東インドからアメリカ、イギリス、オランダを駆逐したことを契機に、戦後にアジアの植民地の独立が相次いだ。連合国とイタリア、ルーマニア、フィンランド、ブルガリア、ハンガリーとの講和は1947年2月10日に署名(パリ条約)されたが、連合国と日本との講和は1951年9月8日の署名(日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)、1952年4月28日発効)まで時間を要し、ドイツの場合は1990年9月12日の署名(ドイツ最終規定条約、1991年3月15日発効、米ソ英仏と西独・東独との間で締結)まで時間を要した。
米ソ冷戦(ColdWar、1945年2月4日ヤルタ会談〜1989年12月3日マルタ会談)では、共産主義諸国を率いるソビエト連邦(ロシア)と資本主義諸国を率いるアメリカが対立して、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン戦争などの代理戦争が勃発した。1949年10月1日には、中華民国に対する共産革命を成功させた中国共産党が中華人民共和国(1949年10月1日〜)を建国した。米ソ冷戦の間に、中華人民共和国はソビエト連邦(ロシア)とアメリカの対立を上手く利用した外交を展開し、経済力・軍事力を増強して国際的な存在感を高めた。米ソ冷戦の結果、1991年12月26日にソビエト連邦(1922年12月30日〜1991年12月26日)が崩壊した。共産革命の成功により建国された史上初の国家だったが、その実態は独裁主義・全体主義国家であり、僅か69年で幕を閉じた。
ともかく今回は、アメリカ革命戦争(ARW)、フランス革命戦争(FRW)、ナポレオン戦争(NBW)、英露グレートゲーム(GreatGameWar)、第一次世界大戦(WWⅠ)、第二次世界大戦(WWⅡ)、米ソ冷戦(ColdWar)という7つの世界大戦をあらためて認識してもらえれば十分である。
欲を言えば、ドイツとイタリアという国民国家が誕生したのは英露グレートゲーム中の19世紀後半であること、共産革命が成功してソビエト連邦(ロシア)が誕生したのは第一次世界大戦(WWⅠ)終結間際の1917年だったこと、中華人民共和国は冷戦中の1949年に誕生した新興国家(2022年現在、建国73年目)であること、も覚えてもらえると次回につながる。

参照文献:岡田英弘「歴史とはなにか」文春新書
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