アメリカ革命戦争
- 四々縦七
- 2022年1月1日
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1774年9月5日にイギリス領12植民地は第一次大陸会議を開催してイギリス本国製品の不買運動を採択し、イギリス本国からの輸入は急激に減少した。しかし交渉は進展せず、1775年4月19日にイギリス植民地民兵隊とイギリス軍の間で革命戦争が勃発した(レキシントン・コンコードの戦い)。
イギリス領13植民地は、イギリス軍に対抗するため5月10日に第二次大陸会議を開催して、6月14日に大陸軍を結成し、翌6月15日にジョージ・ワシントンを総司令官に任命した。
大陸軍がサラトガの戦いに勝利すると、翌1778年2月6日にフランスがアメリカ側に参戦(仏米同盟条約)し、1779年4月12日にはフランスの同盟国としてスペインも参戦した(アランフエス条約)。
1779年3月11日にはロシア、スウェーデン、デンマーク=ノルウェーにより第一次武装中立同盟も結成されており、オランダが第一次武装中立同盟に参加することをおそれて、1780年12月にイギリスがオランダに宣戦布告して戦争が勃発した(第四次英蘭戦争)。
第一次武装中立同盟には、ロシア、スウェーデン、デンマーク=ノルウェーに加えて、プロシア、オーストリア、ポルトガル、オスマン帝国、ナポリ王国が参加したため、イギリスは国際的に孤立した状態でアメリカ革命戦争後半を戦うこととなった。
1781年9月5日にフランス艦隊がイギリス艦隊に勝利(チェサピーク湾の海戦)してチェサピーク湾の制海権を握ると、9月28日に大陸軍とフランス軍はヨークタウンに籠城するイギリス軍を包囲して攻撃を開始し、食糧・弾薬の尽きたイギリス軍は10月17日に降伏した(ヨークタウン包囲戦)。
1783年9月3日にアメリカの勝利で講和し、イギリスはアメリカの独立を承認したうえ、ミシシッピ川より東をアメリカ領とした(パリ条約)。同日にフランスおよびスペインもイギリスと講和し、イギリスはセネガルをフランスに、メノルカ島とフロリダをスペインに、それぞれ返還した(ヴェルサイユ条約)。
しかし、第四次英蘭戦争(1780年12月〜1784年5月20日)の講和は長引き、1784年5月20日にイギリスの勝利で講和し、オランダはインドのナーガパッティナムを割譲し、イギリスはセイロン島を返還した。加えて、オランダはオランダ領東インドにおけるイギリスの自由貿易権を認めさせられた(パリ条約)。

ちなみに、イギリス領13植民地とは、ニューハンプシャー州、マサチューセッツ州、ロードアイランド州、コネティカット州(以上、ニューイングランド)、ニューヨーク州、ペンシルベニア州、デラウェア州、メリーランド州、ヴァージニア州、ノースカロライナ州、サウスカロライナ州、ジョージア州、ニュージャージー州の13州。

1774.9.5-10.26 第一次大陸会議
1775.4.19 ARW レキシントン・コンコードの戦い
1775.5.10-1781.3.1 ARW 第二次大陸会議
1775.6.15 ARW ジョージ・ワシントンを総司令官に任命
1777.9.19, 10.7 ARW サラトガの戦い
1778.2.6 ARW 仏米同盟条約
1779.3.11-1783.9.3 ARW 第一次武装中立同盟
1779.4.12 ARW アランフェス条約
1780.12-1784.5.20 ARW 第四次英蘭戦争, パリ条約
1781.9.5 ARW チェサピーク湾の海戦
1781.9.28-10.17 ARW ヨークタウン包囲戦
1783.9.3 ARW パリ条約, ヴェルサイユ条約
1784.5.20 ARW パリ条約
1789.4.30 ARW アメリカ合衆国の成立, ジョージ・ワシントン初代大統領に就任
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