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1775.4.18 夜明け前のユーラシア

  • 執筆者の写真: 四々縦七
    四々縦七
  • 2022年1月3日
  • 読了時間: 2分

『1775年4月19日』に現代世界史が始まった。つまり、国民国家の夜明けを迎えた。夜明け前のユーラシアは、どんな世界だったのだろうか?


岡田英弘氏が指摘するように、「アメリカ独立以前の世界には、政治形態としては君主制と、ヴェネツィアやフィレンツェのような自治都市しかなかった。【中略】君主制の時代には、国民というものはまだなかったし、国境というものもまだなかった。自治都市に至っては、少数の貴族の合議制であって、やはり国民全部の意思の表現ではなかった」。ユーラシアにはモンゴル承継国家というべき大国(帝国)が林立していたが、上記では君主制と分類されるだろう。


主要な国だけで、以下のように10カ国が挙げられる。

  1. アフガニスタン(ドゥッラーニー帝国(1747年10月〜1826年))大清帝国(1616年成立〜1912年2月12日滅亡)

  2. イラン(ペルシア帝国(サファヴィー朝(1501年〜1736年3月21日)滅亡後、ガージャール朝(1779年〜1925年12月15日)による統一前の内戦状態)

  3. 黄金のオルド(〜1783年4月8日滅亡。クリミア・ハン国)

  4. オスマン帝国(1299年成立〜1922年11月1日滅亡)

  5. コーカンド・ハン国(1709年〜1876年)

  6. 大清帝国(1616年成立〜1912年2月12日滅亡)

  7. ヒヴァ・ハン国(1512年〜1920年)

  8. ブハラ・アミール国(1500年建国〜1577年ブハラに遷都〜1785年君主号をアミールに変更〜1920年)

  9. ムガル帝国(1526年成立〜1858年3月29日滅亡)

  10. ロシア(ロシア帝国(ロマノフ家))

アメリカからヨーロッパに飛び火した革命戦争は、まずはオスマン帝国やロシアを巻き込んで行くことになる。


そしてポスト・ナポレオン戦争の時代にロシアの南下政策とイギリスのインド支配強化が進み、英露グレートゲームでは上記ユーラシア諸国がロシアとイギリスの対決の舞台とされることになるのだ。


結果的に、ロシア以外で現在までつづくことができたのは、保護国化されながらも緩衝地としての役割を果たしたアフガニスタンとイランだけであった。ムガル帝国と大清帝国は滅亡し、オスマン帝国はトルコ共和国として連続性は保ったものの領土はほぼアナトリア半島だけに縮小した。

参照文献:岡田英弘「歴史とはなにか」文春新書

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