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15世紀に始まった植民地支配の拡大

  • 執筆者の写真: 四々縦七
    四々縦七
  • 2021年12月8日
  • 読了時間: 8分

植民地(colony)とは、『より強い国の政治的支配下にある国または地域』と定義できる (ロングマン現代英英辞典によると、"a country or area that is under the political control of a more powerful country, usually one that is far away")。広義には、衛星国、保護国、併合された国や地域などを含む場合もあるだろう。


【2022年現在も例外的に存在している植民地】

まず重要なことは、米ソ冷戦(ColdWar、1945年2月4日〜1989年12月3日)以降も植民地は例外的に存在しているということだ。


例えば中華人民共和国(1949年10月1日〜)は、建国後にチベットとウイグルを侵略した。2020年6月30日に香港(1997年7月1日に返還されたイギリスの植民地)で香港国家安全維持法を施行して言論統制を行い、民主主義・自由主義的な統治を否定している。また中華民国の植民地支配を継承して、満洲と南モンゴル(WWⅡ以前は日本の植民地)を支配している。2022年現在、中華人民共和国はチベット人、ウイグル人、香港人、満洲人、南モンゴル人を植民地支配しているのだ。


【WWⅡ以前は一般的なものだった植民地】

次に重要なことは、第二次世界大戦(WWⅡ、1939年9月1日〜1945年9月2日)以前は植民地は世界中に存在した一般的なものだったということだ。


第二次世界大戦(WWⅡ、1939年9月1日〜1945年9月2日)以前の一般的な植民地の例として、日本近隣にあった主要な欧米植民地を並べてみよう。

  • シベリア(ロシアが進出)

  • 北モンゴル(ロシアの植民地)

  • フランス領インドシナ(現在のベトナム、ラオス、カンボジア)

  • フィリピン(アメリカの植民地、スペインから獲得)

  • オランダ領東インド(現在のインドネシア)

  • イギリス領マラヤ(現在のマレーシア、シンガポール)

  • イギリス領北ボルネオ(現在のマレーシア、ブルネイ・ダルサラーム)

  • イギリス領インド帝国(現在のインド、パキスタン、バングラデシュ、ミャンマー)

  • イギリス領セイロン(現在のスリランカ)

  • ハワイ(アメリカが併合)

  • グアム(アメリカがスペインから獲得)

つまり、日本の周囲には北から、ロシア、大清帝国、フランス植民地、アメリカ植民地、オランダ植民地が並び、その西方にタイ王国、イギリス植民地があり、東方にはアメリカの前哨基地ハワイがあるという感じだったのだ。日本は露仏米蘭英に取り囲まれていたのだ。


日本の植民地は以下の4つの国・地域であったが、当時の欧米の一般的な植民地が本国に利益をもたらすものであったのに対し、日本はインフラを整備したり、教育を施すなど基本的に持ち出しであった点が異質であった。

  • 南モンゴル

  • 満州

  • 大韓帝国(現在の大韓民国、北朝鮮人民共和国)

  • 台湾・澎湖諸島

第二次世界大戦(WWⅡ、1939年9月1日〜1945年9月2日)以前の植民地は、7列強(米仏英露伊独日)のほか、ポルトガル〔葡萄牙〕、スペイン〔西班牙〕、オランダ〔和蘭陀〕、ベルギー〔白耳義〕などによって領有された(一部は現在でも領有されている)。


ごく簡単に、欧米の侵略と植民地形成の歴史を振り返っておこう。


ヨーロッパ諸国による外洋を越えた侵略

1415年8月21日にポルトガルがセウタ(ジブラルタル海峡に面するアフリカ北岸の都市)を攻略して、ヨーロッパ諸国による外洋を越えた侵略と植民地化がはじまった。また、レコンキスタが完了した(1月2日にグラナダ陥落)1492年の10月12日にスペインの支援を受けたクリストファー・コロンブスがサン・サルバドル島に到達、キューバ本島とイスパニョーラ島にも到達して、南北アメリカ大陸の侵略と植民地化も始まった。


アフリカ大陸は、第二次世界大戦(WWⅡ、1939年9月1日〜1945年9月2日)後まで、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアの4列強にポルトガル、スペイン、ベルギーを加えた7カ国によって、アメリカの解放黒人奴隷が建国したリベリア以外すべて植民地とされた。


中央アメリカには広大なスペイン副王領(ヌエバ・エスパーニャ)が作られた。その領土は北アメリカ(太平洋沿岸からミシシッピ川まで)にまで及び、大西洋沿岸ではフロリダ、太平洋のスペイン領東インド(1565年4月27日〜1898年12月10日、現在のフィリピン、マリアナ諸島およびカロリン諸島)をも含んでいた。北アメリカ大西洋沿岸にはフランス、イギリスの植民地も作られた。これらの植民地に、アメリカ(1789年4月30日〜)、メキシコ(1821年9月27日〜)、カナダ(1867年7月1日〜)などが成立した。


南アメリカは、スペインを中心にすべて植民地とされたが、ナポレオン戦争(NBW、1799年11月9日〜1815年11月20日)中および戦後の19世紀前半に多くの国が独立した。1822年9月7日には、ブラジル連邦共和国がポルトガルから独立を宣言した。


ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマが1497年に希望峰を回ってインドに到達した。ポルトガルは日本にまで到達していたが、最終的には、イギリス、フランス、アメリカの3列強にオランダを加えた4カ国によって、イギリスとフランスの緩衝地帯とされたタイ王国以外すべて植民地とされた。

  • オランダ領東インド(1619年〜1945年8月17日)

  • イギリス領セイロン(1815年3月2日〜1948年2月4日)

  • イギリス領インド帝国(1858年8月2日〜1947年8月15日)

  • イギリス領マラヤ(1874年1月20日〜1957年8月31日)

  • フランス領インドシナ(1887年10月17日〜1945年9月2日ベトナム独立、1949年7月19日ラオス独立、1953年11月9日カンボジア独立)

  • イギリス領北ボルネオ(1888年5月12日〜1957年8月31日マレーシア独立、1984年1月1日ブルネイ・ダルサラーム独立)

  • アメリカ領ハワイ(1893年1月17日併合)

  • アメリカ領フィリピン(1898年12月10日米西戦争で割譲〜1946年7月4日)

ロシアの東方侵略

ロシアは、1581年にシベリア進出を始め、1649年にはオホーツク海・ベーリング海に到達していた。中央アジアの諸国を支配下に置き、1689年にネルチンスク条約(ロシアのシベリア進出に対応して満洲北辺の国境確定)や1727年にキャフタ条約(清の北モンゴル進出に対応して北モンゴルの国境確定)を結ぶなど18世紀末までに大清帝国との通商・外交関係を既に構築していた。


大清帝国がイギリスとフランスと戦っていた(アロー戦争(第二次アヘン戦争、1856年6月28日〜1860年10月24日/25日))のにつけ込んで、アムール川左岸を獲得(アイグン条約(1858年5月28日))し、次いで沿海州(ウスリー川以東の外満州)を獲得(北京条約(1860年11月14日))して、念願だった港を建設した。これが、ロシアの極東の軍事拠点ウラジオストク(ウラジ『支配する』ヴォストーク『東』)である。


ロシアの東方侵略はベーリング海峡すら渡り、1741年7月15日にアラスカに到達していた。アメリカに売却するまで、ロシアはアメリカに植民地を領有していたのだ(ロシア領アメリカ(1799年7月8日〜1867年10月18日))。


アメリカの西方侵略

建国時のアメリカ(1789年4月30日〜)は大西洋沿岸の国で、北をイギリス領(現在のカナダ)、南をスペイン領(現在のフロリダ州)に挟まれ、西はミシシッピ川までをイギリスから獲得(1783年9月3日パリ条約)していて、その先にはスペイン副王領(ヌエバ・エスパーニャ)が広がっていた。


アメリカは、1803年7月4日にはフランス領ルイジアナを買収(ルイジアナ買収、1682年〜1763年および1801年3月21日〜1803年4月30日、現在の現在のアイオワ・アーカンソー・オクラホマ・カンザス・コロラド・サウスダコタ・テキサス・ニューメキシコ・ネブラスカ・ノースダコタ・ミズーリ・ミネソタ・モンタナ・ルイジアナ・ワイオミングの15州にまたがる広範な地域)し、1819年2月22日にスペイン領フロリダを買収(アダムズ・オニス条約、現在のフロリダ・アラバマ・ミシシッピの3州にまたがる地域、スペイン副王領(ヌエバ・エスパーニャ)の一部)し、1845年12月29日にテキサス共和国を強引に併合(テキサス併合、現在のテキサス・カンザス・ニューメキシコ・コロラド・ワイオミングの5州にまたがる地域。1936年3月2日メキシコから独立していた)すると、怒ったメキシコに逆ギレして戦争して1848年2月2日にテキサス以西の太平洋沿岸地域を割譲(米墨戦争(1846年4月25日〜1848年2月2日グアダルーペ・イダルゴ条約)、現在のニューメキシコ・コロラド・ワイオミング・アリゾナ・ユタ・ネヴァダ・カリフォルニアの7州にまたがる地域)し、その北部の太平洋沿岸地域は1846年6月15日に併合(オレゴン条約、現在のワシントン・オレゴン・モンタナ・アイダホ・ワイオミングの5州にまたがる地域。1818年10月20日の条約で英米共同占有としていた)して、大西洋から太平洋にまたがる現在の領土をほぼ確立していた。


アメリカの入植は、こうしてヨーロッパ諸国と(先住民族からすれば勝手に)取り決めた新領土において、先住民族諸部族の土地を奪う形で1890年頃まで行われた(1890年12月29日ウーンデッドニーの虐殺)。外洋を渡らなくてはいけなかったヨーロッパ諸国や、極寒不毛のユーラシア大陸北部を横断しなければならなかったロシアに比べて、アメリカは恵まれた条件下で侵略と植民地形成を進めた。植民地での『列強』との衝突も避けられ、地続きだから大陸横断鉄道(1869年5月10日ユニオン・セントラル・パシフィック鉄道がシカゴ・サンフランシスコ間に開通、1883年1月12日サザン・パシフィック鉄道がニューオリンズ・ロサンゼルス間に開通、1885年11月サンタフェ鉄道がセントルイス・ロサンゼルス間に開通)を活用することもできた。


太平洋に達したアメリカは、1893年1月17日にはハワイを併合し、スペインに勝利してグアムとフィリピンを割譲した(米西戦争(1898年4月21日〜8月13日)。アメリカの西方侵略は、太平洋すら超えたのだ。この後のアメリカは大清帝国に植民地を得ようと躍起になることになる。

 

繰り返しになるが、第二次世界大戦(WWⅡ、1939年9月1日〜1945年9月2日)以前の国際社会では植民地は一般的なものだった。


第一次世界大戦(WWⅠ、1914年7月28日〜1918年11月11日)後に国際連盟で人種差別撤廃を訴えていた日本は、第二次世界大戦(WWⅡ、1939年9月1日〜1945年9月2日)中にイギリス、オランダ、アメリカを追い出してアジアの植民地独立の下地を作り、結果的に白人による植民地支配というそれまでの国際社会の常識を終わらせた。つまり、日本が植民地を例外的なものに変質させたのである。


現代世界史とは、国民国家の時代として『列強』を中心に多くの戦争が行われた時代であると同時に、15世紀に始まった植民地支配も拡大の一途を辿って来た時代だったのだ。

参照文献:木村靖二・岸本美緒・小松久男編「詳説世界史研究」山川出版社

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