1816.7.9 リオ・デ・ラ・プラタ諸州連合(アルゼンチン)🇦🇷#105 独立宣言(トゥクマンの議会)
- 四々縦七
- 2022年5月31日
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スペイン副王領リオ・デ・ラ・ブラタでは、1816年7月9日にリオ・デ・ラ・プラタ諸州連合(後のアルゼンチン)が正式に独立を宣言した(トゥクマンの議会)。
1808年6月6日にジョゼフ・ボナパルト(ナポレオン・ボナパルトの兄)がスペイン王ホセ1世(在位:1808年6月6日〜1813年12月11日)として即位すると、1810年5月25日にスペイン副王領リオ・デ・ラ・ブラタのブエノスアイレスで五月革命が勃発して、リオ・デ・ラ・プラタ諸州連合(後のアルゼンチン)が独立を宣言していた。
しかし、ブエノスアイレス主導の独立運動に対してはパラグアイやバンダ・オリエンタル地方(現在のウルグアイにあたる地域)などの反対があり、トゥクマンの議会(1816年7月9日)で改めて独立を宣言した後も、アルゼンチンの独立の方向性も定まらず、安定した政権も生まれなかった…
正直、アルゼンチン(リオ・デ・ラ・プラタ諸州連合)の国民国家の成立時期をいつにすべきか確信がない。しかし、旧スペイン副王領リオ・デ・ラ・ブラタ全域を対象とした中央集権的な独立を目指していた独立宣言(1810年5月25日、五月革命)ではなく、事実上アルトペルー(のちにボリビア共和国として独立)、パラグアイ、バンダ・オリエンタル地方(現在のウルグアイにあたる地域)を除いた地域での独立を指向した独立宣言(1816年7月9日、トゥクマンの議会)をもって、国民国家アルゼンチンの成立とみなすべきではないかと考える。

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