1822.10.12 巨大な国民国家ブラジル帝国🇧🇷#108 ポルトガル・ブラジル及びアルガルヴェ連合王国から独立🇵🇹
- 四々縦七
- 2022年6月10日
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ポルトガル本土で1820年自由主義革命(1820年1月1日〜1826年3月10日ジョアン6世崩御)が勃発すると、ポルトガル議会の要請に基づいて帰国するために、ジョアン6世(John VI of Portugal)は1821年4月26日にブラジルから出港した。
1821年3月7日にジョアン6世は息子のペドロを摂政に就けてブラジルの統治を任せていたが、ブラジルを改めて植民地化しようとするポルトガル議会はブラジル駐留のポルトガル軍に本土から新しい将校を派遣した。
1822年初めにポルトガル軍とブラジル人兵士・民衆との間の対立が勃発し、ポルトガル本土からの増派にもかかわらずブラジルの独立を求める抵抗は続いた(ブラジル独立戦争)。1822年9月7日にペドロはブラジルの独立を宣言(イピランガの叫び)して民衆の決起を促し、10月12日にブラジル皇帝ペドロ1世に即位した(〜1831年4月7日)。
1824年3月8日にモンテビデオに籠城していたポルトガル軍がブラジル軍に降伏して(モンテビデオ包囲戦(Siege of Montevideo、1823年1月20日〜1824年3月8日))、ポルトガル軍による独立阻止の試みは失敗に終わった。
ポルトガル本土でも自由派と保守派の対立が起こっており、1823年6月3日のクーデターによりポルトガル王ジョアン6世は新憲法を廃止し、議会を解散させていた。1825年5月13日にはポルトガル王ジョアン6世がブラジルに対する主権を息子であるブラジル皇帝ペドロ1世に譲渡し、8月29日に正式にブラジル帝国のポルトガル・ブラジル及びアルガルヴェ連合王国からの独立を認めた。

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