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1799.11.9 FRW 革命戦争で国民国家誕生 フランス🇫🇷#102

  • 執筆者の写真: 四々縦七
    四々縦七
  • 2022年3月14日
  • 読了時間: 2分

フランス革命(1789年7月14日〜1795年8月22日)への他国の干渉から、1792年4月20日にフランス革命戦争が勃発した。この戦争はナポレオン戦争(〜1815年11月20日)につながり、23年超の世界大戦となるのだが、これら2つの世界大戦を画するのが1799年11月9日である。


1799年11月9日にナポレオン・ボナパルトがクーデターを起こして第一統領に就任して実権を握ったことによって、革命によって大混乱に陥っていたフランス第一共和政(1792年9月21日王政廃止宣言〜1804年5月18日帝政宣言)に政権の安定がもたらされて国民国家が成立したのだ。


1804年5月14日にナポレオン・ボナパルトはフランス人民の皇帝を戴冠した(フランス第一帝政(1804年5月18日帝政宣言〜1814年4月4日NB退位、1815年3月20日〜6月22日NB百日天下))から、ナポレオン・ボナパルトは計15年弱(1799年11月9日〜1814年4月4日)国民国家フランスを率いた。この15年間で国民国家という新しい政治形態が外国にも国内のフランス人にも浸透したのだ。


まず大半のヨーロッパ諸国については、フランスに敗戦することで『国民国家は戦争に強い』ことが直接的に刻みつけられた。数少ない例外は、名実ともにナポレオン戦争に勝利したと言えるイギリスと一時的にフランスと協調関係にあったロシアくらいだろう。イギリスとロシアにしたって、『国民国家は戦争に強い』ことを嫌になるくらい見せつけられたという意味では他のヨーロッパ諸国と同じである。


結果的にフランス第一帝政はナポレオン戦争に敗北し、1815年6月9日に締結されたウィーン議定書と1815年11月20日に締結された第二次パリ条約によって、「フランス革命は無かったことに」された(ウィーン体制)。しかし、ヨーロッパ諸国は生き残るために『国民国家のように戦争に強い国づくりをしなければならない』ことを知ってしまっていたから、国民国家のサバイバル・ゲーム、すなわち現代世界史が本当の意味で始まったのだ。


フランス人にしたって同じだ。1814年4月6日に成立したフランス復古王政は七月革命(1830年7月27日〜29日)で倒され、代わって成立したフランス七月王政(1830年8月9日〜)も二月革命(1848年2月23日〜12月2日)で倒された。そして、フランス第二共和政(1848年2月24日〜1851年12月2日)で選挙により選ばれていたルイ・ナポレオン大統領が1851年12月2日にクーデターを起こし、フランス人民の皇帝に即位してナポレオン3世を名乗りフランス第二帝政(〜1870年9月4日)が始まった。フランス人は36年かけて国民国家フランスを取り戻したのだ。




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