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1822.10.1 新憲法制定,自由主義革命 ポルトガル・ブラジル及びアルガルヴェ連合王国🇵🇹#019

  • 執筆者の写真: 四々縦七
    四々縦七
  • 2022年6月9日
  • 読了時間: 1分

ナポレオン戦争(NBW、1799年11月9日〜1815年11月20日)中の1807年12月1日にフランス・スペイン連合軍にリスボンを制圧され、ポルトガル本土は分割・占領されていた。半島戦争(1808年5月2日〜1814年5月30日第一次パリ条約)勃発後の1811年になって、ようやくフランス軍がポルトガル本土から撤退した。


ポルトガル軍がイギリス軍・スペイン軍と共に半島戦争を戦っている一方で、王室不在のポルトガル本土はフランス軍の撤退後はイギリスの軍政下に置かれ、1814年5月30日に半島戦争が終結した後もイギリスの軍政がつづいていた。


1820年1月1日にスペイン立憲革命(1820年1月1日〜1823年11月7日)が勃発すると、影響されてポルトガル本土のポルトで軍の反乱が起こり、イギリスの軍政に反対する民衆の運動が全国に広がった(1820年自由主義革命(1820年1月1日〜1826年3月10日ジョアン6世崩御))。イギリス軍は同年10月までに撤退した。


1821年にポルトガル議会はスペイン1812年憲法(カディス憲法)を参考にした新憲法を制定し、1822年10月1日にジョアン6世(John VI of Portugal)に憲法を遵守することを宣誓させた。ジョアン6世は1821年7月3日にブラジルから帰国していた。

ポルトガル王国の国旗
ポルトガル王国の国旗

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