1820.3.10 スペイン王国🇪🇸#010 カディス憲法(1812年憲法)復活,立憲革命
- 四々縦七
- 2022年6月6日
- 読了時間: 2分
1820年1月1日にラファエル・デル・リエゴ・イ・ヌニェス大佐が、半島戦争(1808年5月2日〜1814年5月30日第一次パリ条約)の最中にスペイン国民議会が公布したスペイン1812年憲法(カディス憲法)復活を求める反乱を起こした(スペイン立憲革命(1820年1月1日〜1823年11月7日))。
スペイン各地で同様の反乱や暴動が続発し、3月10日にフェルナンド7世はスペイン1812年憲法(カディス憲法)の復活を宣誓した。

1822年10月20日に神聖同盟(1815年9月26日にロシア、オーストリア、プロイセンが結成。11月19日にフランス加入)がスペインへの武力干渉を決め(ヴェローナ会議)、1823年4月7日にフランス軍がスペインに侵攻して8月31日にスペイン軍を破り(トロカデロの戦い)、9月23日にフェルナンド7世を自由主義政府から解放した。こうして革命は挫折し、11月7日にはリエゴ・イ・ヌニェスが処刑された。
政権の安定という意味では3年弱の自由主義政府は不足だが、半島戦争(1808年5月2日〜1814年5月30日第一次パリ条約)にゲリラ戦で勝利したことと、その戦中にスペイン1812年憲法(カディス憲法)を公布したことと併せて考えると、カディス憲法を復活させることに成功した1820年3月10日をもって国民国家スペイン王国が成立したと考えるべきだろう。
興味深いことに、スペイン本国で自由派が政権を握っていた間に、スペイン副王領ヌエバ・エスパーニャでは保守派のアグスティン・デ・イトゥルビデを中心にメキシコが独立を果たした(メキシコ革命戦争(1810年9月16日〜1821年9月15日))。

Comments