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1805.10.21 NBW イギリス🇬🇧#001 トラファルガーの海戦に勝利

  • 執筆者の写真: 四々縦七
    四々縦七
  • 2022年3月28日
  • 読了時間: 2分

1805年10月21日にスペインのトラファルガー岬の沖で、イギリス艦隊がフランス・スペイン連合艦隊を壊滅させた(トラファルガーの海戦)。ロンドンのトラファルガー広場はこの戦勝を記念して造られ、ホレーショ・ネルソン提督の記念碑も建てられている。ネルソン提督はこの海戦で戦死したが、彼こそがイギリス(連合王国グレートブリテン)の英雄であり、彼が同戦で掲げた信号文"England expects that every man will do his duty"が有名だ。


アメリカ革命戦争(ARW、1775年4月19日〜1783年9月3日)に敗北したとはいえ、イギリス(連合王国グレートブリテン)はアメリカ植民地を失っただけであった。フランス革命戦争(FRW、1792年4月20日〜1799年11月9日)は、フランス軍にイギリス本土を攻撃されるかもしれないという現実的な危機をイギリスにもたらした。


そして、イギリスはトラファルガーの海戦に勝利することで、その危機を未然に防ぐことに成功した。


ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍によって『国民国家は戦争に強い』ことを見せつけられたヨーロッパ諸国にあって、名実ともにナポレオン戦争に勝利したと言えるイギリスと一時的にフランスと協調関係にあったロシアは例外的だった。イギリスの場合は本土が島国であることもあって、「制海権」を握ることで国民国家のサバイバル・ゲーム、すなわち現代世界史を生き抜いていけることを国民国家フランスに対しても実践したのだ。


実際、ポスト・ナポレオン戦争の時代(ウィーン体制)を経て、英露グレートゲーム(1828年2月21日〜1907年8月31日)が戦われたわけだ。その史実こそが、イギリスとロシアはナポレオン戦争(1799年11月9日〜1815年11月20日)を生き残っただけでなく、国民国家のサバイバル・ゲームにおいてトップランナーとして躍り出る契機としたことを証明している。



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