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国民国家とは?

  • 執筆者の写真: 四々縦七
    四々縦七
  • 2021年12月3日
  • 読了時間: 7分

国とはなんだろう?


現代世界史における地政学とは、『18世紀末から現在に至る約250年間に、世界で起こってきた戦争の歴史を知ること』である。そして、戦争とは、国と国が領土を争い奪い合うことである。


だから、国が戦争の主体であることは間違いない。


しかし、国民国家という形態の国が誕生したのは現代世界史においてであった。むしろ、国民国家が誕生したがゆえに現代世界史がはじまったと言うべきである。


国民国家とはなにか? 今回は、この点を定義する。


現代世界史は、『1775年4月19日』に始まったと書いたのを覚えているだろうか。そう、この日にレキシントンで勃発したアメリカ革命戦争(1775年4月19日〜1783年9月3日)に勝利した植民地の人々が、戦後に憲法を制定し、『1789年4月30日』にジョージ・ワシントンを大統領に就任させて成立させたアメリカ合衆国が最初の国民国家であった。


アメリカは歴史の浅い国である。その歴史はわずか200年であり、1300年の日本の歴史の6分の1にもみたない。しかし、アメリカ合衆国は最古の国民国家なのだ。


入植した白人が建国したため歴史を持たず、植民地にできたので隣国が存在せず、南北戦争(1861年4月12日〜1865年4月9日)でConfederate States of America(CSA)に勝利し再統合するまではUnited States of America(USA)という名前の通りその実態はUnited Nations(国際連合)のような複数の国で構成される国際機関だったり、特異な(ほぼ唯一と言ってもいいかもしれない)国ではあるが、アメリカ合衆国という国民国家の誕生によって現代世界史がはじまったのだ。


そして2番目に成立した国民国家がフランス共和国(第一共和政、1792年9月21日王政廃止宣言〜1804年5月18日帝政宣言)である。とはいえ、恐怖政治がしかれたり元国王を処刑したり、国内は大混乱に陥っていたので、ナポレオン・ボナパルトがクーデターを起こして第一統領に就任して実権を握った『1799年11月9日』が実際の第2の国民国家の誕生日というべきであろう。


この国民国家はたった5年弱で、1804年5月14日にナポレオン・ボナパルトがフランス人民の皇帝を戴冠してフランス帝国(第一帝政、1804年5月18日帝政宣言〜1814年4月4日NB退位、1815年3月20日〜6月22日NB百日天下)に変化してしまうのだが、この帝国も国民国家なのだ。そう、共和制かどうかは国民国家の要件ではないのだ。


では、3番目に成立した国民国家をご存知だろうか?


ハイチ共和国である。植民地のアフリカ人奴隷がハイチ革命(1791年8月22日勃発)を成功させ、1804年1月1日にフランス共和国(第一共和政)から独立を果たした。独立と同時に奴隷状態から脱することにも成功した、最初の黒人の国民国家である。

 

アメリカ合衆国、フランス共和国(第一共和政)、そしてハイチ共和国を紹介できたところで、あらためて国民国家の定義に戻る。


そもそも国民国家とは、国民の国家という意味である。まず、国家から見ていこう。


岡田英弘氏によると、「アメリカ合衆国に参加した、いわゆる「独立13州」のうち、10は「ステイト(state)」と名のり、あとの3つは「コモンウェルス(commonwealth)」と名のった。「コモンウェルス」は「共有財産」という意味で、王の財産を市民の共有財産にしたことを、はっきりあらわしている。さて、日本語で「国家」と翻訳される「ステイト」のほうだが、この英語は、【中略】もとはラテン語の「スタトゥス(status)」から出ている。「スタトゥス」は、「立つ」という意味の動詞の過去分詞形で「立っていること、位置、地位、身分、財産」を意味した。王の財産だった旧植民地を、市民が乗っとって自分たちの財産にしたのだから、それを「財産」という意味で、「ステイト」と呼んだわけだ。これが国家というものの始まりだった」ということだ。すなわち、国家とは『財産ないし共有財産』であると定義できるのだ。


岡田氏が指摘するように、「アメリカ独立以前の世界には、政治形態としては君主制と、ヴェネツィアやフィレンツェのような自治都市しかなかった。【中略】君主制の時代には、国民というものはまだなかったし、国境というものもまだなかった。自治都市に至っては、少数の貴族の合議制であって、やはり国民全部の意思の表現ではなかった。」


だから、国民国家が成立する以前の世界では、お金とか土地という財産は、君主の所有だったり、少数の貴族の所有だったりと、その帰属は具体的だったのだ。したがって、次に問題となるのは、国家という『財産ないし共有財産』が誰のものか? ということである。


岡田氏によると、「はっきりしただれかを、王の財産権の正当な相続人として、設定しなければならないことになる。そこで「国民」という観念が生まれて、「国民」が「国家」の所有者、つまり主権者だ、ということになった。「国民国家(nation-state)」という政治形態は、このときはじめて生まれたのだ。」ということだ。すなわち、国民とは、『国家(という『財産ないし共有財産』)の所有者として設定された観念』であると定義できるのだ。


換言すると、国民国家が成立して以後の世界には、国家という共有財産の国民への帰属という抽象的な考え方が生まれたということである。


以上のとおり、国家とは『財産ないし共有財産』であり、国民とは『国家という共有財産の所有者として設定された観念』であると定義できた。したがって、国民国家とは、『国民が国家すなわち領土などの共有財産を所有するという建前の政治形態の国』と定義できることになる。


ちなみに、国家という熟語も国民という熟語も、stateやnationの訳語として、19世紀の日本人が創ったものだ。

 

長くなったが、ようやく国民国家を定義することができた。ここで、確認しておかなければならない重大事がある。


岡田氏は、「この国民国家というものは、「歴史の法則」などによって、必然的に生まれてきたものではない。北アメリカと西ヨーロッパに、続けざまに起こった二つの革命によって、偶然に生まれた政治形態だ。しかも、それが世界中に広まったのは、国民国家のほうが戦争に強いという理由があって、国民国家にならなければ生き残れなかっただけのことだ。」と、指摘している。


歴史に筋書きなどないのだ。


日本は、イギリス、ロシア帝国、タイ王国などと同様で、現代世界史以前から存在する国が、現代世界史においても他国(強力な国民軍を持つに至った国民国家を含む)に征服されずに継続できた国だ。改革によって国民国家化したわけではないが、他国との戦争に負けることなく生き残ることに成功したのである。


一方、オーストリア帝国、オスマン帝国、大清帝国、ムガル帝国などの古代帝国は、『国民国家』ないし『列強』との戦争・競争に敗れて滅亡してしまった。


日本は、イギリスと同様に、現代世界史においても堅調に発展した国家であり、非白人の国家として『列強』入りした唯一の存在だった。第二次世界大戦こそ大敗北してしまったが、冷戦では自由主義・民主主義陣営の側で勝利した。


実際、21世紀初頭の現在、中華人民共和国やソ連崩壊後のロシア連邦が独裁主義・全体主義国家し、軍事力を高めてアメリカ合衆国と覇権を争っている。国民国家の誕生とともに生まれた人権や自由を国民に保障する政治体制は、アメリカ、イギリス、日本、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ、オーストラリア、インドなどを含む民主主義・自由主義陣営が、中国、ロシア、北朝鮮などの独裁主義・全体主義陣営に敗れれば、生き残れず失われる可能性があるものだ。


現に、中華人民共和国によって、ウイグルや香港、南モンゴル、チベットなどにおいて人権が蹂躙され権利が制限されている。


重大事とは、現代世界史とは世界が平和で平等になってきた物語などではなく、国民国家を含む『列強』が生き残りをかけて戦い争ってきた物語であるということだ。民主主義・自由主義を標榜する国家が戦争に敗北し勢力を弱めれば、国民の人権も権利も尊厳も一顧だにしない独裁主義・全体主義国家が国際政治をリードするだろう。そして、独裁主義・全体主義国家の侵攻に際して、民主主義・自由主義国家の国民を守れるのは国家権力(軍隊など)しかないのだ。


日本も例外ではない。島国というアドバンテージがあったのは事実だろうけれど、これまでのところは、日本人の勇気と知恵と努力と軍事力・軍事同盟によって、植民地化や滅亡・解体を免かれて来れただけのことである。

参照文献:岡田英弘「歴史とはなにか」文春新書

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