エチオピア帝国 1270-1974.9.12 ◆◆◆
- 四々縦七
- 2022年7月11日
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エチオピアは、アフリカ最古の独立国である。第二次世界大戦(WWⅡ、1939年9月1日〜1945年9月2日)直前から約5年間だけ、イタリアに併合されていた(イタリア領東アフリカ(1936年5月9日〜1941年11月28日))。日本が『列強』入りした20世紀前半において、独立を保てていた非白人国家は、日本以外には3カ国しかない。エチオピア(エチオピア帝国1270年〜1974年9月12日)以外には、リベリア共和国(1847年7月26日〜)とタイ王国(1238年〜)があるだけだ。
エチオピア帝国 1270-1974.9.12
【英露グレートゲーム(1828年2月21日〜1907年8月31日)】
1885年2月に、紅海沿岸部に入植を進めるイタリア王国(1861年3月17日〜)とエチオピア(エチオピア帝国1270年〜1974年9月12日)との間で戦争が勃発した。イタリア王国が勝利してエリトリアを獲得した(1889年5月2日ウッチャリ条約)。
1894年12月に、エチオピアを植民地化しようとするイタリア王国(1861年3月17日〜)が侵攻を開始した。1896年3月1日にアドワの戦いで勝利したエチオピアは、ウッチャリ条約(1889年5月2日)破棄とエチオピアの独立承認を条件に、イタリア王国と講和した(アディスアベバ条約(1896年10月23日))。
【ポスト第一次世界大戦】
1935年10月2日に、エチオピアを植民地化しようとするイタリア王国(1861年3月17日〜)が侵攻を宣言し、翌10月3日に侵攻を開始した。1936年5月5日に、イタリア軍がエチオピア(エチオピア帝国1270年〜1974年9月12日)の首都アディスアベバを占領して戦争はおわった。
イタリア王国は、この戦争(第二次エチオピア戦争(1935年10月3日〜1936年5月5日))の直後、5月7日にエチオピアの併合を宣言し、5月9日にエチオピア・イタリア領エリトリア・イタリア領ソマリアを合わせた東アフリカ帝国(イタリア領東アフリカ、1936年5月9日〜1943年9月8日)の樹立を宣言した。6月1日には、イタリア領エリトリアとイタリア領ソマリアを統合した。
【第二次世界大戦(1939年9月1日〜1945年9月2日)】
第二次世界大戦が勃発するとイギリス軍がイタリア軍を駆逐し、エチオピア帝国は独立を回復した。翌1942年にイタリアを含む枢軸国に宣戦布告し、連合国側として参戦した。
【米ソ冷戦(1945年2月4日〜1989年12月3日)】
米ソ冷戦のなか、エリトリアと連邦国家を形成していた(エチオピア・エリトリア連邦1952年9月15日〜1962年11月15日)が、1962年11月15日にエリトリアを併合した。1974年9月12日に軍のクーデターによってハイレ・セラシエ1世は逮捕・廃位させられて、エチオピア帝国(1270年〜1974年9月12日)は滅亡した。
◆◆◆ 暫定軍事政権による統治、エチオピア人民民主共和国(1987年2月22日〜1991年5月28日)の成立、エリトリア国の独立(独立宣言1991年5月29日、エチオピア承認1993年5月24日)などを経て、1995年8月22日にネガソ・ギダダが初代大統領(〜2001年10月8日)に就任して、エチオピア連邦民主共和国が成立した。◆◆◆
現在のエチオピアの領土
現在のエチオピア(エチオピア連邦民主共和国)の領土は、北から時計回りにエリトリア・ジブチ・ソマリア・ケニア・南スーダン・スーダンと国境を接している。
アフリカの国家で、欧米の言語やアラビア語を公用語としていないのは、エチオピアだけである。

1885.2-1889.5.2 エリトリア戦争, ウッチャリ条約
1885年2月に、紅海沿岸部に入植を進めるイタリア王国(1861年3月17日〜)とエチオピア(エチオピア帝国1270年〜1974年9月12日)との間で戦争が勃発した。イタリア王国が勝利してエリトリアを獲得した(1889年5月2日ウッチャリ条約)。
イタリア王国は、この戦争(エリトリア戦争(1885年2月〜1889年5月2日)のあと、1890年1月1日にエリトリア植民地を設立(イタリア領エリトリア)し、1936年6月1日にイタリア領エリトリアおよびイタリア領ソマリアを東アフリカ帝国(イタリア領東アフリカ、1936年5月9日〜1943年9月8日)に統合した。
1894.12-1896.10.23 アビシニア戦争(第一次エチオピア戦争), アディスアベバ条約
1894年12月に、エチオピアを植民地化しようとするイタリア王国(1861年3月17日〜)が侵攻を開始した。1896年3月1日にアドワの戦いで勝利したエチオピアは、ウッチャリ条約(1889年5月2日)破棄とエチオピアの独立承認を条件に、イタリア王国と講和した(アディスアベバ条約(1896年10月23日))。
アディスアベバ条約では、ウッチャリ条約(1889年5月2日)で合意したエリトリアの割譲は再確認されたため、イタリア領エリトリア(1890年1月1日〜)はひきつづき存続した。
エチオピア(エチオピア帝国1270年〜1974年9月12日)は、この戦争(アビシニア戦争(第一次エチオピア戦争、1894年12月〜1896年10月23日))に勝って、アフリカで初めてヨーロッパ『列強』の侵略を跳ね返して独立を維持し、つかの間の平穏を享受した。1931年7月16日には大日本帝国憲法を範としたエチオピア1931年憲法を公布・施行している。
1935.10.3-1936.5.5 第二次エチオピア戦争, イタリア領東アフリカ成立
1935年10月2日に、エチオピアを植民地化しようとするイタリア王国(1861年3月17日〜)が侵攻を宣言し、翌10月3日に侵攻を開始した。1936年5月5日に、イタリア軍がエチオピア(エチオピア帝国1270年〜1974年9月12日)の首都アディスアベバを占領して戦争はおわった。
イタリア王国は、この戦争(第二次エチオピア戦争(1935年10月3日〜1936年5月5日))の直後、5月7日にエチオピアの併合を宣言し、5月9日にエチオピア・イタリア領エリトリア・イタリア領ソマリアを合わせた東アフリカ帝国(イタリア領東アフリカ、1936年5月9日〜1943年9月8日)の樹立を宣言した。6月1日には、イタリア領エリトリアとイタリア領ソマリアを統合した。
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