1814.3 NBW スペイン王国🇪🇸#010 フェルナンド7世が復位🇬🇧🇷🇺🇦🇹🇩🇪
- 四々縦七
- 2022年5月10日
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フランス本土に北からロシア・オーストリア・プロシア・スウェーデン連合軍が、南からイギリス・スペイン・ポルトガル連合軍が侵攻する事態となり、パリが陥落(1814年3月31日)する直前、1814年3月にスペイン王フェルナンド7世(在位:1808年3月19日〜5月6日、1814年3月〜1833年9月29日)が復位した。
復位してすぐの1814年5月には、フェルナンド7世は半島戦争(1808年5月2日〜1814年5月30日第一次パリ条約)の最中にスペイン国民議会が公布したスペイン1812年憲法(カディス憲法)を拒絶し、絶対王政の回復を目指した。
スペイン副王領ヌエバ・グラナダでは、1814年6月にはスペイン軍がベネズエラ第二共和国(1813年8月7日〜1814年6月16日)を占領し、鎮圧のためにスペイン軍も増派した。シモン・ボリバルも1815年にイギリス領ジャマイカへの亡命を余儀なくされた。
スペイン副王領リオ・デ・ラ・ブラタでは、1816年7月9日にリオ・デ・ラ・プラタ諸州連合(後のアルゼンチン)が正式に独立を宣言し(トゥクマンの議会)、1817年にはホセ・デ・サン・マルティン率いるアンデス軍がチリ・ペルー・アルトペルー遠征を開始した。
スペイン副王領ヌエバ・エスパーニャでは、1816年に北部スペイン軍の司令官となったアグスティン・デ・イトゥルビデが、反乱軍の指導者のひとりビセンテ・ゲレロと秘密裏に接触していた。

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