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1896.1.15 シャムとメーコーン上流域に関する英仏宣言

執筆者の写真: 四々縦七四々縦七

19世紀末の当時、タイ王国の西は、ビルマ王国コンバウン朝(1752年〜1886年)がイギリスに敗れて(イギリス・ビルマ戦争 (英緬戦争))、イギリス領インド帝国(1858年8月2日〜1947年8月15日)の統治下に入っていた。東は、フランス第三共和政(1870年9月4日〜1940年6月22日)がベトナムを植民地化していた(後に、フランス領インドシナ(1887年10月17日〜1953年11月9日)に含まれる)。


タイ王国チャクリー朝(1782年4月6日〜現在)のラーマ5世(在位1868年10月1日〜1910年10月23日)は、イギリスにマレー半島の一部を割譲し、フランス第三共和政(1870年9月4日〜1940年6月22日)にはラオスとカンボジアを割譲(これにより、フランス領インドシナ(1887年10月17日〜1953年11月9日)が成立)することで、独立を保った。


こういった英仏の侵略とタイ王国の外交対応の結果、イギリス領インド帝国(1858年8月2日〜1947年8月15日)とフランス領インドシナ(1887年10月17日〜1953年11月9日)は、タイ王国の北部で国境を接することになったわけである。


植民地の国境を接することになったイギリスとフランス第三共和政(1870年9月4日〜1940年6月22日)は、1896年1月15日に、シャムとメーコーン上流域に関する英仏宣言(Declaration between Great Britain and France with regard to the Kingdom of Siam and other matters)を発表し、タイ王国を緩衝地帯とすることに合意・発表したのである。


タイ王国は、外交(もちろん領土を割譲することを外交と表現するべきかどうかは議論の余地があるだろうけれど…)により、『列強』間の緩衝地帯として独立を保つことに成功したのである。



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