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1795.1.19 FRW ネーデルラント(オランダ)連邦共和国🇳🇱#007 滅亡🇫🇷

  • 執筆者の写真: 四々縦七
    四々縦七
  • 2022年2月21日
  • 読了時間: 2分

1795年1月19日にフランスの衛星国家バタヴィア共和国(1795年1月19日〜1806年6月5日)が成立して、ネーデルラント連邦共和国(1579年1月23日ユトレヒト同盟〜1648年10月24日ウェストファリア条約〜1795年1月19日)が滅亡した。


ネーデルラント連邦共和国は、1775年4月19日に現代世界史が始まってから2つ目の世界大戦であるフランス革命戦争(FRW、1792年4月20日〜1799年11月9日)が勃発して早々に滅亡の憂き目に遭った。


しかも、滅亡するとすぐにイギリスはオランダ東インド会社の海外植民地への侵攻を開始し、イギリス領セイロン(1796年〜1948年2月4日)やイギリス領ケープ植民地(1806年〜1910年5月31日)を成立させた。


また、1799年8月27日にはイギリス・ロシア連合艦隊がバタヴィア共和国に侵攻した。イギリスの制海権確保にとって、フランスが旧ネーデルラント連邦共和国の艦隊を入手することを防ぐのは最優先事項であり、バタヴィア艦隊(旧ネーデルラント連邦共和国艦隊)の大部分が鹵獲された。


バタヴィア共和国(滅亡後のネーデルラント連邦共和国)も、デンマーク=ノルウェー二重王国もあてはまったが、大国αと大国βが対立している場合に、『重要な資産(この時代の場合は制海権を左右する『艦隊』や利益を生み出す『海外植民地』がそれ)』を保有している第三国γは、難しい立場に立たされる。


αからすると、βがγを味方につける(あるいは支配下に置く)おそれがあるなら、γの『重要資産』を破壊・略奪してしまっておいた方が安心、と考えるのも合理的だからだ。これはβの立場からも全く同じだ。


この状況は第三国γが占領されて敗戦していても同じ、なのが国際社会のキビシイところ。上記の通り、滅亡後のネーデルラント連邦共和国は海外植民地を奪われ、本土攻撃されて艦隊も奪われた。フランス革命戦争時のネーデルラント連邦共和国(オランダ)は、冷徹な史実であり、重要な地政学のケース・スタディである。



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