ハイチ共和国 1804.1.1-the present
- 四々縦七
- 2022年7月25日
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1775年4月19日にはじまった現代世界史、アメリカ革命戦争(ARW、1775年4月19日〜1783年9月3日)の結果、1789年4月30日に、ジョージ・ワシントン初代大統領の就任によって最初の国民国家アメリカ合衆国が成立した。このアメリカ合衆国成立に影響を受けて勃発したフランス革命(1789年7月14日〜1795年8月22日)に周辺国が干渉してはじまったフランス革命戦争(FRW、1792年4月20日〜1799年11月9日)の結果、1799年11月9日に、ナポレオン・ボナパルト第一統領の就任によって2番目の国民国家フランス共和国(第一共和政、1792年9月21日王政廃止宣言〜1804年5月18日帝政宣言)が成立した。
ハイチ共和国 1804.1.1-the present
【フランス革命戦争・ナポレオン戦争(1792年4月20日〜1815年11月20日)】
そして、フランス革命中に勃発したハイチ革命戦争(1791年8月22日〜1804年1月1日)の結果、1804年1月1日に終身総督に就任したジャン=ジャック・デサリーヌがフランス第一共和政からの独立を宣言して、3番目の国民国家ハイチ共和国が成立した。
しかも、ハイチ共和国(1804年1月1日〜)は、植民地のアフリカ人奴隷が革命を成功させて独立を果たし、独立と同時に奴隷状態から脱することにも成功した、最初の黒人の国民国家である。
【ポスト・ナポレオン戦争】
輝かしい独立を達成したハイチ共和国だったが、ナポレオン戦争(NBW、1799年11月9日〜1815年11月20日)後のウィーン体制の下でフランス復古王政(1814年4月6日〜1830年7月29日)はなかなか独立を承認せず、1825年に独立の承認と引換えにフランス人奴隷所有者に対する多額の賠償金を課された(公式の独立承認はフランス七月王政(1830年8月9日〜1848年2月24日)により1834年になされた)ことで経済的に困窮することになり(賠償金の完済は1922年)、政治体制は安定しなかった。
【第一次世界大戦(1914年7月28日〜1918年11月11日)】
第一次世界大戦中の、1915年7月28日には、アメリカが海兵隊を上陸させてハイチを占領した。アメリカは1934年8月1日まで軍政を敷いた(United States occupation of Haiti)。
現在のハイチ共和国の領土
現在のハイチ共和国の領土はイスパニョーラ島西部で、同島東部にあるドミニカ共和国と国境を接し、島の西の海域には、北からバハマ、キューバ、ジャマイカがある。北には大西洋が、南にはカリブ海が広がる。
ドミニカ共和国との関係
ハイチ共和国は、イスパニョーラ島全域(西部のフランス植民地サン=ドマングと東部のスペイン領サントドミンゴ)を領土として独立した(1804年1月1日)が、東部は不安定な状態がつづいた。
1809年にはスペインがサントドミンゴを占領して1814年パリ条約でスペイン領植民地に復し、1821年12月1日にスペイン人ハイチ共和国(〜1822年2月9日)としてスペインから独立するも、翌1822年2月9日にハイチ共和国に再統合・併合(〜1844年2月27日)され、1844年にドミニカ共和国としてハイチ共和国から独立するも、1861年にスペインに再併合されることを選び、1865年8月16日にスペインから再独立した。
ハイチ共和国とドミニカ共和国が平和条約を結んだのは1875年のことだった。

1791.8.22-1804.1.1 ハイチ革命戦争
フランス革命(1789年7月14日〜1795年8月22日)中に、イスパニョーラ島西部のフランス植民地サン=ドマングで、奴隷の反乱が勃発してハイチ革命戦争(1791年8月22日〜1804年1月1日)がはじまった。
1801年までに、フランソワ=ドミニク・トゥーサン・ルヴェルチュールはフランス植民地サン=ドマング全域を掌握し、イスパニョーラ島東部のスペイン領サントドミンゴにも侵攻して黒人奴隷を解放していた。しかし、1802年にフランス軍に投降して収監中に死亡した。
フランス軍が一時的に治安を回復したが、奴隷制復活を目論み、反乱は再燃した。この頃、ナポレン・ボナパルトがアメリカ大陸の植民地維持に関心を失った(1803年7月4日フランス領ルイジアナをアメリカに売却)こともあり、1803年11月18日にジャン=ジャック・デサリーヌが率いる反乱軍がフランス植民地軍に勝利(ヴェルティエールの戦い)すると、1804年1月1日にジャン=ジャック・デサリーヌが終身総督に就任して独立を宣言した。これにより、3番目の国民国家ハイチ共和国が成立した。
1915.7.28-1934.8.1 アメリカのハイチ占領
第一次世界大戦(WWⅠ、1914年7月28日〜1918年11月11日)中の、1915年7月28日にアメリカが海兵隊を上陸させてハイチを占領した。アメリカは1934年8月1日まで軍政を敷いた。
アメリカのハイチ占領(United States occupation of Haiti、1915年7月28日〜1934年8月1日 )は(バナナ戦争(Banana Wars))のひとつで、ほかに第二次キューバ占領(Second Occupation of Cuba、1906年9月29日〜1909年2月6日)、ニカラグア占領(United States occupation of Nicaragua、1912年8月4日〜1933年)、ドミニカ占領(United States occupation of the Dominican Republic、1916年5月5日〜1924年12月27日)などを含む。
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