フィンランド共和国(大公国) 1809.9.17-1917.12.6-the present
- 四々縦七
- 2022年7月26日
- 読了時間: 7分
現代世界史が始まった(1775年4月19日)ころ、フィンランドはスウェーデン領だった。
フィンランド大公国 1809.9.17-1917.12.6
【ナポレオン戦争(1799年11月9日〜1815年11月20日)】
ナポレオン戦争のなか、1807年7月7日にロシアとフランスが講和し、ロシアがスウェーデンに圧力をかけて大陸封鎖令に参加させることと、その見返りにフランスはロシアがフィンランドを獲得することを容認することが約束された(ティルジットの和約)。1808年2月にロシアがフィンランドに侵攻して第二次ロシア・スウェーデン戦争(1808年2月〜1809年9月17日フレデリクスハムンの和約)が勃発した。
1809年9月17日にロシアの勝利で講和し、スウェーデンはフィンランド全土とオーランド諸島を割譲した(フレデリクスハムンの和約)。
これにより、ロシアの保護国フィンランド大公国(1809年9月17日〜1917年12月6日ロシアから独立)が成立した。
1815年6月9日にロシア皇帝が大公を兼ねるフィンランド大公国は承認された(ウィーン議定書)。ナポレオン戦争(NBW、1799年11月9日〜1815年11月20日)中、フィンランドは(ロシアの保護国としてではあったが)初めて国家の形を成してウィーン体制を迎えた。
フィンランド王国 1917.12.6-1918.12.14
【第一次世界大戦(1914年7月28日〜1918年11月11日)】
第一次世界大戦の終結間際にロシアで共産革命が成功(二月革命(1917年2月23日〜2月27日)、十月革命(同年11月17日〜))した。
これを好機と見たフィンランド議会は1917年12月6日にロシア皇帝ニコライ2世のフィンランド大公位の廃位とフィンランド大公国の独立を宣言した。
フィンランド内戦(1918年1月27日〜5月15日)の後、1918年10月9日にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の義弟であるフリードリヒ・カールを新国王に選出した。しかし、1918年11月11日にドイツが敗戦したため12月14日にフリードリヒ・カールが国王即位を辞退し、カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムが摂政に就任した。
フィンランド共和国 1918.12.14-the present
【ポスト第一次世界大戦】
共和制を採用した憲法が制定され、1919年7月26日にカールロ・ユホ・ストールベリが初代フィンランド大統領に就任した。
【第二次世界大戦(1939年9月1日〜1945年9月2日)】
フィンランドは第二次世界大戦(WWⅡ、1939年9月1日〜1945年9月2日)に枢軸国側で参戦した。
カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム総司令官が率いるフィンランド軍は、第二次世界大戦がはじまって間も無く勃発した冬戦争(1939年11月30日〜1940年3月13日停戦)と独ソ戦(1941年6月22日〜1945年5月9日モスクワ講和条約)の一部をなす継続戦争(1941年6月25日〜1944年9月19日モスクワ休戦協定)でロシア軍と、継続戦争の休戦条件から派生して勃発したラップランド戦争(1944.9.15-1945.4.25 )でドイツ軍と戦い抜き、カレリア地峡の割譲や国土の荒廃といった多大な代償を払いながらも、なんとか独立を守り切った。
【ポスト第二次世界大戦】
ポルッカラ早期返還(1955年9月19日)以降フィンランドは中立を維持していた。しかし、ロシアによるウクライナ侵攻を受け、2022年5月16日にNATO加盟申請を正式に表明した。
現在のフィンランド共和国の領土
現在のフィンランド共和国の領土は、西にスウェーデン、北にノルウェー、東にロシアと国境を接している。南にフィンランド湾を擁し、西にはバルト海を擁している。

1805.10.31-1810.1.6 NBW ポメラニア戦争, パリ条約
1792年4月20日にフランスがオーストリアに宣戦布告して「フランス革命戦争」がはじまって以来、スウェーデンは中立を保っていた。しかし、1804年にフランスとの国交を断絶し、イギリスがスウェーデン領ポメラニアを軍事拠点として利用することを認めた。
1805年8月9日にスウェーデンは第三次対仏大同盟に参加し、1805年10月31日にスウェーデンがフランスに宣戦布告してポメラニア戦争(Franco-Swedish War、1805年10月31日〜1810年1月6日パリ条約)が勃発した。
スウェーデンは第二次ロシア・スウェーデン戦争(1808年2月〜1809年9月17日フレデリクスハムンの和約)に敗北したため、1810年1月6日にロシアの仲介でフランスの勝利で講和し、スウェーデンは大陸封鎖令(1806年11月21日にフランスが発令)に参加した(パリ条約)。これにより、スウェーデンは第四次対仏大同盟から離脱した。
1808.2-1809.9.17 NBW 第二次ロシア・スウェーデン戦争, フレデリクスハムンの和約
1807年7月7日にロシアとフランスが講和し、ロシアがスウェーデンに圧力をかけて大陸封鎖令に参加させることと、その見返りにフランスはロシアがフィンランドを獲得することを容認することが約束された(ティルジットの和約)。1808年2月にロシアがフィンランドに侵攻して第二次ロシア・スウェーデン戦争(1808年2月〜1809年9月17日フレデリクスハムンの和約)が勃発した。
1809年9月17日にロシアの勝利で講和し、スウェーデンはフィンランド全土とオーランド諸島を割譲した(フレデリクスハムンの和約)。これにより、ロシアの保護国フィンランド大公国(1809年9月17日〜1917年12月6日ロシアから独立)が成立した。ちなみに、スウェーデンはイギリス・ポルトガルと同盟関係にあった(第三次・第四次対仏大同盟)が、フィンランドをめぐる地上戦には、なんら有効な支援を受けることはできなかった。
1917.12.6 WWⅠ フィンランド大公国が独立宣言
第一次世界大戦(1914年7月28日〜1918年11月11日)の終結間際にロシアで共産革命が成功(二月革命(1917年2月23日〜2月27日)、十月革命(同年11月17日〜))した。
これを好機と見たフィンランド議会は1917年12月6日にロシア皇帝ニコライ2世のフィンランド大公位の廃位とフィンランド大公国の独立を宣言した。
フィンランド内戦(1918年1月27日〜5月15日)の後、1918年10月9日にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の義弟であるフリードリヒ・カールを新国王に選出した。しかし、1918年11月11日にドイツが敗戦したため12月14日にフリードリヒ・カールが国王即位を辞退し、カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムが摂政に就任した。
1918.1.27-5.15 WWⅠ フィンランド内戦
1918年1月27日から28日にかけて、共産革命を目指す赤衛軍がヘルシンキを制圧して内戦が勃発した(フィンランド内戦(1918年1月27日〜5月15日))。カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムが率いる白衛軍はドイツに救援を求めて3月15日に反撃を開始し、攻勢に転じた。4月13日に白衛軍がヘルシンキを制圧し、5月15日までに赤衛軍はロシアへ逃亡した。
1939.11.30-1940.3.13 WWⅡ 冬戦争, モスクワ講和条約
第二次世界大戦(WWⅡ、1939年9月1日〜1945年9月2日)が始まって間もない1939年11月30日に、ソビエト連邦がフィンランドに侵攻して戦争が勃発した(冬戦争(1939年11月30日〜1940年3月13日停戦))。
カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム総司令官が率いるフィンランド軍は戦い抜いてフィンランドの独立は守ったが、1940年3月12日に苛酷な条件を飲んで講和(モスクワ講和条約)して翌3月13日にようやく停戦に漕ぎ着けた。
モスクワ講和条約(1940年3月12日)は、フィンランド第二の都市であるヴィープリを含む国土の10%・工業生産の20%が集中するカレリア地峡(フィンランド湾東岸からラドガ湖北岸一帯までの地峡)の割譲に加え、サラの割譲、フィンランド湾に浮かぶ4島の割譲、ハンコ半島とその周辺の島々の30年間の租借権(ソ連が軍事基地として利用)、を含んでいた。
1941.6.25-1944.9.19 WWⅡ 継続戦争, モスクワ休戦協定
1941年6月25日にフィンランドがソビエト連邦に宣戦布告した(継続戦争(1941年6月25日〜1944年9月19日モスクワ休戦協定))。第二次世界大戦(WWⅡ、1939年9月1日〜1945年9月2日)のなかの独ソ戦(1941年6月22日〜1945年5月9日)の一部をなす戦闘だったが、フィンランドは冬戦争(1939年11月30日〜1940年3月13日停戦)の継続であると主張した。
カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム総司令官が率いるフィンランド軍は善戦したが、フィンランドはソビエト連邦・イギリスと厳しい条件で休戦せざるを得なかった。
1944年9月19日のモスクワ休戦協定は、カレリア地峡・サラ・フィンランド湾に浮かぶ4島の割譲に加えてペツァモ全域の割譲を含んでいた(ペツァモ全域の割譲により、フィンランドはバレンツ海へのアクセスを失うこととなった)。また、ハンコ半島の30年間の租借権を返上する代わりに、ポルッカラ半島の50年の租借権(ソ連が軍事基地として利用)を新たに与える内容だった。
1944.9.15-1945.4.25 WWⅡ ラップランド戦争
モスクワ休戦協定(継続戦争(1941年6月25日〜1944年9月19日)の休戦協定)に、フィンランド領内からドイツ軍を追放するか武装解除して抑留することを要求した条項があった。
この協定により、フィンランドは1944年9月15日までに全ドイツ軍がフィンランド領内から撤退するよう要求する義務を負った。ドイツ軍の撤退は当初は平和裡に行われたが、結局、軍事衝突を防げなかった。1945年4月25日にフィンランドから完全に撤退するまで、ドイツ軍は徹底した焦土戦術を行いながら、ラップランドからノルウェー北部へ撤退した。
1955.9.19 ポルッカラ早期返還
モスクワ休戦協定(継続戦争(1941年6月25日〜1944年9月19日)の休戦協定)に基づいて、ソビエト連邦によるポルッカラ租借は50年間認められていた。
しかし、1955年9月19日に早期返還で合意され、1956年1月26日にポルッカラ半島の支配権がフィンランドに返還された。このポルッカラ早期返還(1955年9月19日)以降にフィンランドは中立を維持してNATOへ加盟しなかった。
2022.5 フィンランドとスウェーデンがNATO加盟意向を表明
ロシアによるウクライナ侵攻を受け、2022年5月15日にフィンランドが、翌5月16日にスウェーデンが、NATO加盟申請を正式に表明した。
Commenti