1815.12.16 ポルトガル・ブラジル及びアルガルヴェ連合王国🇵🇹#019 成立
- 四々縦七
- 2022年5月30日
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1807年11月29日に、フランス・スペイン連合軍から逃れて、ポルトガルから出港していたポルトガル女王マリア1世とジョアン王子は、1809年にブラジル公国(ポルトガル領ブラジル)のリオデジャネイロに遷都してポルトガルの正式な首都としていた。
ナポレオン戦争(NBW、1799年11月9日〜1815年11月20日)が終わり、事実上は植民地に過ぎないブラジル公国にポルトガル本土が統治されているのはおかしいと言う批判に対処するため、マリア1世とジョアン王子は1815年12月16日にはブラジルを王国に昇格させてポルトガル・ブラジル及びアルガルヴェ連合王国(1815年12月16日〜1825年8月29日)を成立させた。ちなみに、アルガルヴェは1808年にスペイン占領下から解放されたポルトガル本土南端の地域。
つまり、マリア1世とジョアン王子は王の権限をもって、ブラジルもポルトガルと同じ王国なのだからブラジル王国の王が連合王国としてポルトガル本土も統治するのは何も問題ないでしょう、とリオデジャネイロに首都があることを正当化したわけだ。
それにしても、南アメリカの植民地に首都移転したうえで、南アメリカとアフリカの植民地を中心とした「連合王国」を作る感覚は斬新だ。まあ、王室に本土の「国民」を守るという意識がまだなかったとも言えるけれども… 少なくとも、この現実主義は日本にとって参考になる。植民地という形式に捉われず、ブラジルが首都を置くに足る実質を備えていた現実(すでに8年経過していた)が認識できていたのは確実だから。まあ、ジョアン王子にとってリオデジャネイロの居心地が良かっただけとも言えるけれども…

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