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1807.11.29 NBW ポルトガル王国🇵🇹#019 本土占領,首都陥落🇫🇷🇪🇸

  • 執筆者の写真: 四々縦七
    四々縦七
  • 2022年4月18日
  • 読了時間: 2分

ポルトガル女王マリア1世とジョアン王子はポルトガル艦隊と共に1807年11月29日に出港して逃走に成功したが、ポルトガル本土はフランス軍とスペイン軍により分割・占領されてしまった。


ポルトガル王国は、1775年4月19日に現代世界史が始まってから3つ目の世界大戦であるナポレオン戦争(NBW、1799年11月9日〜1815年11月20日)の最中に、本土領土を失ってしまったのだ。


1807年7月7日にロシアにスウェーデンの大陸封鎖令参加を任せる(ティルジットの和約)と、残る未参加国はポルトガルだけとなっていた。ナポレオン・ボナパルトは、1807年10月27日にスペインと秘密裏にポルトガルの占領・分割で合意し、スペインにフランス軍の領内通過を認めさせ(フォンテーヌブロー条約)て、ポルトガルの制圧準備を整え、11月にはナポレオン・ボナパルトはポルトガル攻略を命じて、フランス軍をイベリア半島に送った。スペイン軍も合流し、12月1日にはフランス・スペイン連合軍がリスボンを攻略した。


ロシアにスウェーデンの大陸封鎖令参加を任せる(1807年7月7日ティルジットの和約)と、残る未参加国はポルトガルだけとなった。ナポレオン・ボナパルトは、1807年10月27日にスペインと秘密裏にポルトガルの占領・分割で合意し、スペインにフランス軍の領内通過を認めさせ(フォンテーヌブロー条約)て、ポルトガルの制圧準備を整えた。


1807年11月にナポレオン・ボナパルトはポルトガル攻略を命じて、フランス軍をイベリア半島に送った。スペイン軍も合流し、12月1日にはフランス・スペイン連合軍がリスボンを攻略した。ところが、ポルトガル女王マリア1世とジョアン王子はポルトガル艦隊と共に11月29日に出港していた。英葡永久同盟(1373年6月16日〜現在)に基づき、イギリス艦隊がこれを護衛していた。


ポルトガル女王マリア1世とジョアン王子はポルトガル植民地ブラジル公国に亡命し、1809年にはリオデジャネイロに遷都してポルトガルの正式な首都とした。ポルトガルはブラジルを含む植民地統治を継続することができた。


ポルトガルの海外植民地を奪取し損ねたナポレオン・ボナパルトは、同盟国スペインに手を出してしまう。




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