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1783.4.8 黄金のオルド(クリミア・ハン国)#005 併合,滅亡🇷🇺

  • 執筆者の写真: 四々縦七
    四々縦七
  • 2022年2月8日
  • 読了時間: 1分

1783年4月8日、ロシア帝国(ロマノフ家)は黄金のオルド(クリミア・ハン国)を併合した。アメリカ革命戦争(ARW、1775年4月19日〜1783年9月3日)終盤のことである。


1721年11月2日にロシア帝国が成立(大北方戦争(1700年〜1721年9月10日ニスタット条約)の戦勝を記念してピョートル1世が皇帝に即位)していたところ、黄金のオルド(クリミア・ハン国)併合により、ロシアが名実ともにモンゴル帝国の承継国家としての地位を確立したと言える。


1243年にチンギス・ハンの長男ジョチの息子バトゥにより成立した黄金のオルド(キプチャク=ハン国)は、1359年にバトゥ家王統が断絶して内紛が勃発し、1478年にはオスマン帝国に従属するようになっていた。しかし、1502年にメングリ・ギライ・ハーンが黄金のオルドのハーンとなり内紛を終結させ、黄金のオルド(クリミア=ハン国)を成立させると、1571年にモスクワを攻略して以降17世紀末まで貢税を課していた。



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